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祈りの風景 祈りの風景

第三回 温雅貞淑 -おんがていしゅく-

湯通堂 法姫

 好きな花はなにかと問われると、私はいつも白い梅と答える。早春の朝まだき、冷たい風に乗って、どこからともなく漂ってくるあの凛とした香りに出逢った瞬間の驚きや、朝靄の中に花の在り処を探し、咲き初めの一輪を見出した時の喜び。それは、幼い日から幾度の季節を重ねても色褪せぬ、春待つ日々の記憶である。

 中国原産のバラ科の落葉高木である梅は、万葉の時代に渡来し、その楚々たる姿の美しさと芳香は、唐風趣味の貴族達に広く賞美された。また晋の武帝の「文を好めば梅開き、学を廃すれば梅閉ずる」という故事に因んで、文人達の間では「好文木」という別名で愛好された。平安時代に入ると、絢爛豪華な桜に花の主座を譲ったものの、この頃、舶来の花として珍重された菊とともに「梅は花の兄、菊は花の弟」と讃えられ、多くの詩歌に詠われている。
 この花の名を冠した白梅学園という女子校で、私は高校生活を過ごした。大正十四年の創立以来、「質実剛健・温雅貞淑・良妻賢母」を教育の三綱領に掲げて、地域の女子教育を担ってきた伝統校である。
 質実剛健とは、質素で誠実な心と強く健やかな身体を保つこと。温雅貞淑とは、穏やかで慎み深く、上品で操がかたいこと。良妻賢母とは、言うまでもなく良き妻、賢き母のことである。これらの四字熟語は、今では死語に近い存在となってしまったが、古き良き日本女性の美徳として、心に留めておきたい言葉である。

 両親が忙しかったこともあって、幼い頃の私は祖母と過ごすことが多かった。明治中期、地方の旧家の長女として生れ、多感な娘時代に大正デモクラシーの洗礼を受け、やがて厳格な教育者の妻として昭和の激動期に五人の子供を育てあげた祖母は、まさに質実剛健で温雅貞淑な良妻賢母であった。
 連綿と続いた武家社会のしきたりと文明開化の開明的思想が融合された独特の価値観の中で育った祖母は、実家の凋落や兄弟の戦死、嫁姑の確執や夫の死など、時代の激流の中で人生の苦難と向き合い、それをひとつひとつ乗り越えてゆくことで、人生の深みを増していったのだと思う。
 私はこの祖母の影響を多分に受けて育った。箒を薙刀に見立てたり、扇子の懐剣での小太刀の稽古など、女の子のチャンバラの相手をしてもらった時、女が武術を学ぶのは、夫の名誉と我が子の生命、そして自分の操を守る為だと言い聞かされた。
 テレビの時代劇で白無垢の花嫁を見て、父の白衣を被って真似した時も、白無垢は花嫁衣装であると同時に死装束であると教えられた。女は嫁ぐと共に名字が変わる。生れ育った生家を捨て、婚家の人間として生き、そこで死ぬ覚悟で嫁ぐのだという。祖母の時代の女達はこうした運命を甘受し、植物の種子が新しい大地に根を下ろし、花を咲かせ、実を結ぶように、しなやかで強い意志を持って、人生を生きていったのではなかろうか。

 学生時代、「美しい五十代が増えたら、きっとこの国も変わると思う。」という化粧品会社のコマーシャルに、いたく共感した思い出がある。
 幸せなことに、私はいつも年上の素敵な女友達に恵まれてきた。子育てを終えた後、紛争国の子供達を支援する為のNGOを立ち上げた二回り以上年上の友人、積み重ねたキャリアや夢を惜しげなく捨てて、傾きかけた家業を継ぐことにした友人、パワフルに家事や介護をこなしながら、ボランティアなどの社会貢献にも積極的な主婦の達人、社会の様々な偏見をものともせず、明るく闊達に生きているシングルマザー……。
 世代も職業も異なる彼女達には、ひとつの共通点がある。それは、常に前向きに運命と対峙し、強い信念と覚悟を持って自らの人生を切り拓いている姿勢である。
 覚悟という言葉は、「煩悩の迷いから目覚めて、仏教の真理を悟る」という意味の仏教用語から生まれた。そこから、強い決心や諦観を意味する言葉として用いられるようになった。生命あるものは皆、老い、病み、死ぬという宿命を背負って生きている。この逃れ難い事実  ――  人生の本質は苦であるということを自らの命題として受容し、そこから生きることの意味を見出そうとするのが仏教である。
 確かに人生は苦難に満ちている。困難や哀しみから逃げることなく、困難を困難として、哀しみを哀しみとして見つめることは、大きな勇気を必要とする。だが、人生の本質が苦であるという事実をありのままに受け容れ、そこから自分の居るべき場所を見出し、生きるべき道を定める時、人生の地平は大きく広がる。

 十代の頃、母から、十年後の自分の姿を想像してごらんと言われたことがある。いつしかそれが癖になり、十代には二十代の、二十代には三十代の自分の姿を思い描き、理想の自分像に近づきたいと思い続けてきたような気がする。
 十代の頃の大人の女性のイメージは、外国映画で観た黒いドレスと赤いワインの似合う女性であった。二十代にはキャリアスーツに身を固め、仕事に邁進する先輩に憧れ、三十代に入ると、着物の似合う教養あふれる女性になりたいと願った。
 今、私が思い描く十年後の理想の自分像は、飾り気のない白いシャツが似合う女性だ。媚びることも阿(おもね)ることもなく、見栄や虚飾をそぎ落として穏やかに颯爽と生きる。もはや宝石やドレスで自分を飾る必要もなく、その人の生き様そのものが、香り立つ花のように周囲の人を惹きつけ、力づけ、癒すことができる。私の思い描く美しい五十代は、そんな女性である。

 日本は四季の美しい国である。折々の季節を彩る自然の移ろいに、私達の祖先は人の世の無常や人生の喜び哀しみを重ねて、文学や芸術を生み出してきた。
 春の陽光を聚めたかの如く咲き誇る桜の存在感には及ばないが、百花に先駆けて咲き、春を告げる梅の、花の後も残る慎ましやかな香りにこそ私は魅かれる。
 今年もまた春が来る。長い冬を無事に越えて、再びこの花の香りに出逢えた幸せを思いながら、いつかこの花のように、誰かの心に美しい残り香を留めることができるような、そんな人生を生きたいと願うのである。



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