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祈りの風景 祈りの風景

第七回 言霊 -ことだま-

湯通堂 法姫

 中学生の頃、石川啄木は好きな歌人の一人であった。金銭的にだらしなく、依存性の強い性格や、貧しさから社会主義に傾向してゆく彼の思想性にはどうしても馴染めなかったが、その短い人生の中で紡ぎ出された三十一文字の哀愁は、与謝野昌子の情熱よりも若山牧水の旅情よりも、思春期の少女にとっては印象深く心に残るものであった。
  かの時に 言いそびれたる 大切の 言葉は今も 胸にのこれど
 なかでも、処女歌集『一握の砂』の「忘れがたき人人」の章に収められたこの短歌は、年を経てよわいを重ねた今もなお、切ない郷愁をかきたてる。言うべきか言わざるべきかを逡巡し、言いそびれたまま胸の奥深くに沈む言葉が、私にもある。

 短歌は、我が国に伝統的に伝わる和歌の一種である。和歌とは、五音と七音を基調とする日本固有の韻文で、古くは倭歌やまとうたとも呼ばれた。上代には長歌、短歌、旋頭歌せどうか片歌かたうたなど様々な形式の歌が詠まれたが、平安時代には、短歌の定形である五七五七七の三十一音の韻文として定着した。
 我が国初の勅撰和歌集『古今和歌集』仮名序には、簡潔かつ明瞭に和歌の本質が説き明かされている。
 和歌とは、人の心が無限の言葉となって現れ出たものであり、「心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて」言い表したものである。梅林の鶯や清流の河鹿の声に人が自ずと感動するように、和歌もまた自然界の生きとし生けるものに共通する表現法である。それは、「力をもいれずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」、恋人達の悩みや悲しみを和らげ、猛々しい武士達の心を慰めるほどの力を持つものである。
 さらに、和歌は「天地のひらけはじまりける時」に生れ、神から人にもたらされた。天においては下照姫したてるひめ、地においては素戔鳴尊すさのおのみことによって始まったとその成り立ちを記している。万葉の時代には、神と人との交信の手段でもあり、神の意は和歌の形式で人に伝えられた。
 日本は言霊ことだまによって幸せがもたらされる「言霊のさきはふ国」であると歌ったのは万葉歌人・山上憶良であった。言葉にはなんらかの霊的な力が宿っており、人が口に出した言葉が、現実の事象に対して影響を与えるという「言霊思想」は、長く我々の祖先に受け継がれてきた考え方である。
 良き言葉は清き心から生じ、吉祥をもたらす。一方で悪しき言葉は穢れた心から生じるゆえに凶事をもたらす。また自らの意思や願いを言葉として口に出す時、そこに慢心があれば、神の怒りをかい、不吉なことがおこると考えられた。
 若い頃、幼稚園の教師をしていた母は、子供達に正しく美しい日本語で話すことを教えた。幼い子供にも決して「赤ちゃん言葉」を使わず、『古事記』や『万葉集』など日本の神話や詩歌集を読み聞かせ、日本語の持つ美しいリズムを身に付けさせた。
 言葉はその人の生き方そのものを映し出すというのが母の持論であった。乱暴な言葉で育てられた子供は仕草も性格も粗野になるが、優しい言葉をかけられて育った子供は慎み深く思いやりのある大人になる。清らかで優しい心を持ち、美しい言葉で話す人は必ず幸せな人生を生きられると、幼い頃からよく言われたものである。

   父に死が迫ったのは金木犀の香る秋の初めであった。私達はよく似た父娘であった。血液型や身体の造形もさることながら、向こう見ずの激しい気性や、お人好しで情にもろく騙され易い性格など、長短ともに受け継いでしまった娘を、父は自分の分身のように愛した。黒く真っすぐな私の髪は自分が与えたものだからと、短く切ることもパーマをかけることも許さなかった。
 父の死の数日前、それまで夜を徹して看病してきた母にかわって、私は父の病室に泊まった。翌日には仕事の為に上京することが決まっていた。その夜、二人はほとんど眠ることはなく、とりとめのない話をし続けた。幼い頃の出来事や私の知らない父の昔話、母との思い出話、寺や信者の将来のこと、信仰のこと、私の仕事のこと……。生涯で、あれほど穏やかに父と会話したことはなかった。
 朝になり、父にうながされて私は出発の支度をした。互いに、これが今生の別れだと感じていた。部屋を出る間際、私はひとつの言葉を言うべきか否か迷った。それは、貴方の娘に生まれ、貴方に育ててもらえて幸せでしたという言葉だった。だが、それを聞けば必ず父は泣くだろうと思ったし、私も泣かない自信がなかった。
 大人になってから、私は父の前で泣いたことはなかった。今生の最期に、私は父の涙を見たくはなかったし、父も娘の泣き顔など見たくはないだろうと思った。私は、学生時代の挨拶のように行ってきますと言い、父は頑張れよ、負けるなよと言った。私達はいつもの朝のように笑って別れた。父が他界したのは、その二日後の早朝であった。
 不思議なことに、父の最期を看取れなかったという後悔はほとんど無い。あの夜、語るべきことを語り、聞くべきことを聞いたという実感があるからだ。ただ、別離の際に、迷い、口にすることなく呑みこんだ言葉は、十年近い歳月を経た今でもなお、胸の奥に鈍い重さをもって沈んだままである。

 輪廻転生を説く仏教において、数多あまたあるこの世の生き物のなかで、人間としての生命を享け、仏法に目見まみえたことは奇跡に近い幸運である。
 一億二千の人が住むこの国で、同じ時代に生れ、夫となり妻となり、親となり子となり、兄弟姉妹となることは、千分の一、万分の一の確率の出逢いであり、来世、再びめぐり遇う保障など無い今生限りの深い縁である。だからこそ、今生で出逢う人はすべて、かけがえなく愛しい存在なのだ
 自分の死や愛する人との別離を予感した時、人は無意識のうちに大切な言葉を探し、短い一言に万感の想いをこめる。人生の最期の時に、一生を通じて言えなかった言葉を伝える人もあれば、言葉にできぬ想いを胸にしまいこむ者もある。
 どこからともなく金木犀の香りが漂ってくる秋の昼下りなど、折々の時に「言いそびれたる大切の言葉」は、切ない痛みをもって蘇る。あの時、父に言えなかった言葉をいつか母には伝えよう。家族や友人や恩師や、今生で出逢い、いつかは別れてゆく愛しい人々に心からの愛を、尊敬を、感謝を、自分の言葉で伝えたいと思う。今はまだ気恥ずかしくて、とても口には出せないけれど。



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