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祈りの風景 祈りの風景

第二十回 天華 -てんげ-

湯通堂 法姫

 「雪は天から送られた手紙である」というのは、物理学者・中谷宇吉郎博士の言葉である。雪の結晶の研究によって気象条件と結晶が形成される過程の関係を解明し、世界初の人工雪製作に成功した中谷博士は、優れた文筆家でもあった。『冬の華』や『立春の卵』など、降雪のメカニズムや雪の美しさを、平易な文章で詩情豊かに描いた随筆を数多く遺している。
 九州で生まれ育った私にとって、雪は年に一度、見るか見ないかという珍しさであった。寒い冬は苦手な季節であったが雪の降る日は特別で、透明に張りつめたような冷気の中で音もなく舞い落ちる天からの手紙に子供心をときめかしたものであった。小学校の理科室の顕微鏡で担任の先生が見せてくれた雪の結晶の神秘的な煌めきに感動した思い出もある。

 今年のバレンタイン・デー、京都は雪であった。早朝から降り始めた水分の多い雪は水墨画のような幽玄な世界を創り出していた。洛中を南北にのびた烏丸通りを走る車窓から見た東本願寺の銀杏並木や東寺の五重塔の雪化粧は、一瞬、日常の喧噪を忘れてしまう程の静謐な美しさであった。
 得もいわれぬ清浄な光景に、私は学生時代に読んだ『枕草子』の一節を思い出した。
   春はあけぼの。夏は夜。秋は夕暮。冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず。
 千年の昔から、この冬の美しい景色は変わらずに人の心を魅了してきたに違いない。『枕草子』にはもうひとつ、雪の朝のエピソードがある。ある雪の降った日、中宮定子が清少納言にこう問いかけられた。「少納言よ、香炉峰の雪いからなむ。」これに対し清少納言は御格子を上げさせ、御簾を高く上げて庭をお見せしたところ、中宮はお笑いになった。
 これは、唐代の詩人白居易の「香炉峰下、新たに山居を卜し草堂初めて成り 偶東壁に題す」という漢詩の一節をふまえた頓智のやりとりである。政争に巻き込まれ、江州(江西省)の司馬に左遷された白居易は、そこでの心穏やかな日々を
   遺愛寺の鐘は枕を(そばだ)てて聴き  香炉峰の雪は簾を(かかげ)()
と詠った。香炉峰とは江西省北端にある廬山の一峰で、峰の形が香炉に似ていることからこのように呼ばれたという。むろん中宮定子も清少納言も、実際に廬山の地を訪れたことはない。ただ唐の詩人が詠んだ漢詩の一節から、その美しい風景を想い描き、冬の朝の宮中の庭に再現してみせたのであろう。平安朝の貴族女性の豊かな教養を窺い知ることができる物語である。
 雪月花という言葉が示すように、中秋の名月や爛漫の桜と並んで、汚れなき純白の雪を日本人はこよなく愛し、文学や美術の中に、その儚い美を封じこめた。
 六角形の雪の結晶を形容した「(りっ)()」や天上界に咲く花を意味する仏教用語から転じた「(てん)()」など、雪には雅な異称がいくつもある。江戸後期に流行した雪華模様も、雪の結晶を紋様化したものである。

 寒暖を繰り返しながら、春はゆっくりと訪れる。とりわけ今年の春は遅い。立春を過ぎてから降った雪は観測史上初といわれる豪雪となり、その後も一週間おき十日おきと降雪の日が続き、雛の節句もまた雪であった。
 それでも確かに時は過ぎ季節は巡る。音もなく舞い降りる天上の花のように、誰のうえにも平等に時は降り積む。老いた人のうえにも若者のうえにも。一瞬に消えゆく雪の結晶に似て人生は美しく儚い。こころなし明るい弥生の空を仰ぎ陽光に舞う風花に手を差しのべながら、じきにまたひとつ歳をとることを思い出す。





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