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祈りの風景 祈りの風景

第二十一回 四恩 -しおん-

湯通堂 法姫

 土佐には 辣韮(らっきょう)の形をした雨が降るという。三年に分けて四国八十八ヶ所を一巡する京都組寺会の巡拝に参加して二年目の夏、今年の巡拝は土佐高知から始まった。
 「修行の道場」と呼ばれる土佐は、総遍路道の三分の一を占める長い道程が海に沿って東西に伸び、そこに四国四県の中で最も少ない十六の礼所が点在している。札所と札所の間が遠く、いくつもの難関が控える、まさに修行の行程である。
 時雨るような細かな雨の合間に、時折、強い横なぐりの風と共に大粒の雨が混じる。噂に聞いた辣韮の雨に肩を打たれながら、海辺の寺、山の寺を巡り詣でる。
 やがて雨が上がり、うす陽のさし始めた空の下、滑り易い道を一歩一歩踏みしめながら歩き、自然石の石段を登って山内を(くぐ)り、本堂、大師堂への参拝を終えて再び歩き始めた時、金剛杖の先に幽かな気配を感じて、私は踏み出そうとした足を引いた。目をこらすと数匹の蟻が自分の何倍もの大きさの虫の亡骸を運んでゆくところであった。
 その時、唐突に私はこの世の生命の不思議を思った。一匹の虫が寿命を終え、その身体が無数の小さな蟻の生きる糧となる。森の木々は四季を通じて芽吹き、花を咲かせ、落葉して豊かな土壌をつくる。そこを棲家とする虫たちは花の花粉を運んで植物が実を結ぶのを助け、やがて一生を終えてその大地に還る。様々な生き物たちの生命と生命が補完し合い、循環する自然の営みの中で、この私は、いったいどれほど生命の恩寵を享けて、これまで生きてきたのだろうか。

 万物が因と縁とによって成り立つという因縁生によるならば、今生に人としての生命を与えられたことは決して偶然ではなく、享けた恩も計り知れぬ。その無量の恩徳を「四恩」と呼ぶ。四恩とは、この身を生み育んでくれた「父母」の恩、国を護り民を案じる「国王」の恩、廻り巡る輪廻の中で施された「衆生」の恩、生死の苦を断じ涅槃の楽を与える「三宝」の恩である。弘法大師空海は『教王経開題』の冒頭においてこの四つの恩徳を示している。とりわけ衆生の恩は、父母、国王と同じく、或いはそれにも勝るものとして説かれている。

 若し恵眼を以って之を観ずれば、一切衆生は皆是れ我が親なり。是の故に経に云く、一切の男子は是れ我が父なり、一切女人は是れ我が母なり、一切の衆生は皆是れ吾が二親師君なりと。所以に衆生の恩に (すべから)く報酬すべし。世間の父母は但だ一期の肉親を育み、国王の恩徳も凡身を助くるのみ。

 大乗仏教は、すべての生き物が仏性を具有するという「一切衆生悉有仏性」を説く。これは、一切衆生は如来を胎内に宿した存在であるという如来蔵思想を根底としたものである。衆生の内なる如来とは、未だ煩悩に匿されてはいるものの、いずれの日にか仏となるべき如来の因である。如来の因すなわち如来となるべき種子は

 有情非情動物植物同じく平等の仏性を鑒(かんが)み、忽(たちま)ちに不二の大衍を証す。

と説かれるように、人間のみならず全ての生き物が等しくその魂の奥深くに胎蔵しており、それを覚ることが大乗仏教の極意であるとするのである。
 インド仏教では有情(動物)にのみ仏性を認めるが、中国では『壮子』などの道経思想の影響を受け、植物や瓦石など無情のものにも仏性を認めようとする論が生まれた。空海は、インド、中国伝来の仏性論にさらに密教的見解を与え「有情無情動物植物」の一切が仏の救済の対象であり、仏と衆生と我とが仏性を宿した存在として平等であるという「三平等」の思想を確立した。これは宗派を超えて以降の日本仏教に大きな影響を与えることとなった。
 生じては滅す輪廻の中で蒙った衆生の恩は過去、現在、未来の三世を超えた深い縁による無量の恩徳である。今生において敵となり憎しみ合う者同士も、かつては親子兄弟として慈しみ合った人々かもしれず、地面を這う一匹の虫も、遠い過去世、私を愛してくれた母であったかもしれぬ。それゆえに仏教においては怨敵にも慈悲を与え、草木や虫、魚や鳥など生きとし生けるすべてのものを己が父母と等しく報恩の対象とする。自らの内なる仏性を呼び覚まし、一切衆生を苦しみから救いたいと願う菩提心をおこし、仏と成ることを目指して修行する者を菩薩と呼ぶ。菩薩が仏に成ることを願うのは、三世にわたってこの身にもたらされてきた計り知れぬ恩に報いんが為である。

 湿った空気の中に立ちこめる土や草の匂い、木梢から雫れ落ちる陽光、樹々の間を往き交う小動物の気配、鳥のさえずり、路傍に咲く花の佇まい。この世界はなんと美しく愛おしい生命に充たされていることだろう。
 得難き人の身を享け、自然の恵み豊かな日本という国に生まれ、父母の慈愛のもと平和な時代を生きることをゆるされた幸せを噛みしめながら、ふと私は晩年の釈尊の言葉を思い出した。「今生は美しい。人生は甘美なものである。」 彼方で溶け合う土佐の空と海の煌きが涙で滲んだ。





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