諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(五十四)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
智山専修学院長・東京成就院長老
福田 亮成



 本堂での毎朝の勤行には、「妙法蓮華経観自在菩薩普門品」を読誦し、自室には、秋艸道人の「念彼観音力釈然得解脱」の短冊を眺め暮らしております。今更ながら、観音力を有難く感じている毎日です。
  お大師さまは、『法華経』について、六種の『開題』を残されておりますが、その中に、いうところの四種曼荼羅に約して「妙法蓮華経観世音菩薩普門品」を解釈するならば、として「妙法」とは、正法のことで法曼荼羅身であり、「蓮華」とは、ブンダリカのことで三昧耶曼荼羅身であり、「観世音」とは、観自在かんじざい光世音こうぜおんなどの名称があり、大曼荼羅身であり、「普門」とは、普は遍満法界平等利人へんまんほうかいびょうどうりにんのこと、門は出入無礙自在遊戯しゅつにゅうむげじざいゆげのこと、自在遊戯は如来の事業威儀(活動そのもの)である、よって羯磨曼荼羅身かつままんだらしんのことであるとしております。この四種曼荼羅とは、『即身成仏義そくしんじょうぶつぎ』の即身の解釈におきましてたいそうゆうの三大を説きます。その中の相大そうだいは、「四種曼荼羅各々離れず」とあり、そこで説かれている四種曼荼羅の解釈を経名の理解に転用したものでありましょう。『大日経』巻六、本尊三昧品の「一切如来に秘密身あり、いん形像ぎょうぞうなり」とあり、それを四種曼荼羅にあてているのでありますから、四種曼荼羅身といっても不思議ではありません。実に「身」とは、具体的なあらわれ、姿ということにほかありません。
 「妙法蓮華経観世音菩薩普門品」とは、相としての観世音菩薩の具体的なあらわれ、即ち「事」としての身ということに違いありません。ですから「普門品」の読誦は、観世音菩薩との出会いの重要な場面ということになりましょう。



六大新報 第四三一七号 掲載



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