諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(五十九)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
智山専修学院長・東京成就院長老
福田 亮成



   この文にはつづいて、「みちは人なきときはすなわちふさがり、教はぶることなきときは、すなわち廃る」とあり、あわせて考えてみればこの聖句の意味は十分に理解しやすいものでありましょう。私達僧侶に厳しい現実を指摘し、注意をうながしたものであります。
 道は、人がたえず歩いていないと、たちまちに雑草が生い茂ってしまいます。そして道が見えなくなってしまいます。まるで雑草とは、私達の心に生い茂げる煩悩である、ということもできましょう。さらに、教えを説くことがなければ、衰え、やがて消えてしまうはずであります。
 例えば、山に入って方向を示す標識(教え)もなく、道も消えていたとしますと、人は迷い遭難するおそれがあります。そのように私達は、歩むべき道を明確に確保するためにおこたってはなりません。そのためには教えを宣布する行動がともなうはずです。
 私達僧侶には、明確に示された道、即ち仏道という道が目標として厳然と存在しています。よもや、それが見えない人はいないはずです。私達は、その道を確実に歩むことです。歩むということは、日常の生活でおこなうことです。その歩むということこそ、教(おしえ)を演べるということではないでしょうか。仏への道は一本道ですから、迷うことはないはずです。その道には雑草が一本も生えていない清浄のそれでありましょう。もしも、その道がふさがり、消えていたとすれば、それはすべて私達僧侶の責任になるのではないでしょうか。
 私の好きな歌に、「人生の並木道」というのがありますが、相互に手を取りあい、声高らかに歌いつつ仏道を歩む、なんと楽しいことでしょう。



六大新報 第四三二九号 掲載



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