諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(六十八)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
智山専修学院長・東京成就院長老
福田 亮成



 お大師さまは、独自な密教の教えを展開するにあたりまして、当時の仏教、即ち南都仏教に対しまして強い批判の眼をむけて、次のように云っております。
 我を益するのほこを争いつのって、未だおのれそんするの剱を訪うにいとま あらず
 (自説に有利にはたらく論点をあらそいもとめ、いまだ自説に批判的な論述を意識する余裕をもっていない)
 と。このような見解は、入唐以前のお大師さまの仏教を学ぶ過程におきまして感じたものであったにちがいありません。ここからでも、お大師さまは、ただ学解の人でなかったことがわかります。お大師さま五十七才の著述とされます『秘密曼荼羅十住心論』には、これら南都仏教の徹底的な学びが十分に論じられております。そして、それらすべてが密教の中にすくいとられております。あげてみれば、第六住心法相宗のごときは、弥勒菩薩の三摩地門であり、これは大日如来の四行の一つであるとしております。又、第七住心三論宗のごときも、大空三昧を説く文殊菩薩も大日如来を離れて別に智慧があるのではないといい、第九住心華厳宗のごときは、普賢菩薩の三摩地門であり、大日如来の菩提心の一門であるとしております。
 即ち、どのような主張も争うことなく、各々の立場を尊重しつつ、大日如来の普門の教えのなかに統一されてしまう、というお大師さまの平等と遍満の立場が明確に示されていると云えるでしょう。
 すべからく"本"をめざし、"源"にたって考え、"末"に、そして"流"に身をゆだねて相互に批判しあう生き方を、強く拒止されたお大師さまの言葉に注目しなければなりません。



六大新報 第四三五三号 掲載



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