諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(七十四)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
東京成就院長老
福田 亮成



 今年は、高野山開創一二〇〇年の盛儀がおこなわれ、山上は大変な賑やかな様子であります。この文は、弘仁七年(八一六)六月十九日、お大師さま四十三歳の時、即ち『性霊集』巻九の「紀伊国伊都郡高野の峯において入定の処を請け乞うの表」に連動しています。掲げたものは、布施海ふせのあまに宛て高野山下賜の上表文の提出を依頼したものであり、後者『性霊集』所収のそれは、その上表文そのものであるということができます。趣旨は同じものですが、少しく相違しているところがあります。お大師さまは唐より帰国の船中におきまして発せられました「一の少願」とは、「帰朝の日、必ず諸天の威光を増益ぞうやくし、国界を擁護ようごし、衆生を利済せんが為に、一の禅院を建立し、法によって修行せん」というものでありました。そして、その禅院の建立しようとする場所は、「貧道、少年の日、修渉のついで、吉野山を見て南に行くこと一日、更に西に向って去ること二日程にして、一の平原あり。名づけて高野という。計るに紀伊国伊都郡きいのくにいとのごおりの南に当れり。四面高山にして、人迹はるかに絶えたり。彼の地、修禅の院を置くによろし」とありますように、定めていたようであります。そして、帰朝してより十二年も経過してしまい「もしこの願を遂げずんば、恐らくは神祇じんぎあざむかん」と述べております。
 お大師さまの一の少願の中味は、一の禅院の建立、一の草堂を造るということでありました。それが、高野山開創一二〇〇年の慶祝に結びついていることになるわけであります。
 釘子ていし(くぎ)なきにって、工手こうしゅ(工人も仕事)、功をわること能はず。望むらくは早く恵みを重ねよ。
 高野山造営の困難さをうかがう一文であります。



六大新報 第四三六八号 掲載



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