諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(七十九)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
東京成就院長老


福田 亮成



 このどうしようもない悲痛な言葉は、最愛の弟子智泉(七八九~八二五)が、高野山上で天長二年(八二五)二月十四日、三十七歳の若さで滅に入られた時の達嚫の文中にある一文であります。同じ文の中に、「哀なる哉 哀なる哉 哀れなる中の哀なり。悲しい哉 悲しい哉 悲の中の悲なり」とも述べております。将来を期待していた弟子智泉を失ってしまったお大師さまの悲しみはいかばかりであったことでしょう。お大師さま、五十二歳のことでありました。
 智泉は、「俗家には我をおじと謂う。道に入っては長子なり」、即ち智泉は、お大師さまの姉の子という関係です。おじであるといっております。そして最初の弟子であり、二十四年間にわたりかかわりをもっていた人物であったことがわかります。
 真言教団の実際の旗揚はたあげともいうべき高雄山寺における高雄潅頂にあたりまして、その運営にかかわります三網の一員として抜擢(ばってき)されました。即ち、維那ゆいなの役であります。維那とは、寺の規則にしたがい日常の諸事について指図(さしず)する役のことであります。実際のところ、高雄山神護寺の境内にたたずんでみますと、智泉という方がお大師さまの期待を背にしながら活躍されているさまが彷彿ほうふつとしてきます。その潅頂に参加された天台僧にかかわり、伝教大師最澄さまより智泉に差し出された書簡が残されていることも興味深いものがあります。
 さらに、達嚫文には、「吾れ飢うれば汝もまた飢う。吾れ楽しめば汝も共に楽しむ」と。まことに、法によって結ばれた弟子と師との関係が如実であります。お大師さまの悲痛な泣き声が聞こえてきそうです。



六大新報 第四三八一号 掲載



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