お大師様のことば(九十四)
大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
東京成就院長老
福田 亮成
仏とはなんぞや、と問われることがあれば
不動明王は剣と羂索をもっていますが、剣とは智慧、羂索は慈悲にほかならないのであります。『理趣経』の百字の偈には、「般若及方便」の句がありますが、般若だけでは人びとを救いとることはできず、方便のみではただの方便となってしまうのでありますから、般若と方便とは相即相入しなければならないというわけであります。
お大師さまは、入唐直前に空海と名乗ったのでしょうか。教海・如空の一字づつをそろえて空海と名乗ったという考え方と、禅定をしている洞窟からは空と海が見えた、そしてそのままに名乗ったという考え方があります。私は空海の空は智慧であり、海は慈悲であると考え、仏ということの智慧と慈悲を自己に一体化して空海と名乗られたというように考えています。
そういえば、空海は遍照金剛と名乗ってもおりますが、潅頂名でありつつ、まさしく遍照とは慈悲であり、金剛とは智慧でありましょう。むろん潅頂の際に、中央大日如来に投華得仏したということを前提としてでありますが。
六大新報 第四四二〇号 掲載