諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(九十四)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
東京成就院長老

福田 亮成

 仏とはなんぞや、と問われることがあれば躊躇ちゅうちょなく、智慧と慈悲と答えるでしょう。仏像が登場し、三尊の形式による表現が考えられた時に、中心尊の左右に金剛を手にしたもの、蓮華を手にしたものが配置されることになったのであります。金剛とは智慧の幖幟であり蓮華とは慈悲の幖幟であります。現図胎蔵生マンダラの中央は仏部、左右は金剛部、蓮華部によって構成されています。密教には多くの仏達が登場し、それらを仏部・金剛部・蓮華部の三部に整理したのでありました。部とは族とも訳されるクラのことで、四部、五部というように展開します。両界マンダラは、まさしく金剛界は智慧の世界であり、胎蔵生は慈悲の世界であります。
 不動明王は剣と羂索をもっていますが、剣とは智慧、羂索は慈悲にほかならないのであります。『理趣経』の百字の偈には、「般若及方便」の句がありますが、般若だけでは人びとを救いとることはできず、方便のみではただの方便となってしまうのでありますから、般若と方便とは相即相入しなければならないというわけであります。
 お大師さまは、入唐直前に空海と名乗ったのでしょうか。教海・如空の一字づつをそろえて空海と名乗ったという考え方と、禅定をしている洞窟からは空と海が見えた、そしてそのままに名乗ったという考え方があります。私は空海の空は智慧であり、海は慈悲であると考え、仏ということの智慧と慈悲を自己に一体化して空海と名乗られたというように考えています。
 そういえば、空海は遍照金剛と名乗ってもおりますが、潅頂名でありつつ、まさしく遍照とは慈悲であり、金剛とは智慧でありましょう。むろん潅頂の際に、中央大日如来に投華得仏したということを前提としてでありますが。

六大新報 第四四二〇号 掲載

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