諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(九十九)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
東京成就院長老

福田 亮成

 これは、お大師さまが教えの根幹を述べられたものであります。人びとは本覚法身そのものであり、そして仏と平等であり、この身も、生きる土も法然として有る、ということでありましょう。この言葉につづいて、“三界六道の身及び土は業縁ごうえんしたがってなり。是れを衆生の隨縁ずいえんと名く”と。云うならば、本来成仏・本来本覚とは、お大師さまが獲得された基本的な立場であり、『即身成仏義』の主題もそのことにほかなりません。しかし、本来成仏・本来本覚ということを自身に問うた時、仏と自分のありかたが、いかに隔絶しているかを思い知らされるであろう。私の若い頃からの最大の悩みがそれでありました。仏であるというあり方から、いかに遠いところに私が居るのであろう、と。しかし、現実の私のあり方をそのように認めざるをえないとしても、本来は本覚という、即身成仏ということを放棄することはできない。お大師さまの考えは、私達に出発を煩悩具足の凡夫ということから始めるのではなく、本来成仏ということから始める。しかし、煩悩の海を渡ることには相違することがないのである。ようするに、煩悩を取っていくということより、仏道を行ずるということで乗り切ろうとする、ということではないでしょうか。仏道を行ずるというと、すぐに三密行ということがいわれますが、道場の内での修法ということもさりながら、それは日常生活の場にも繋がるものであるということができましょう。『即身成仏義』に、“衆生の三密”とあることに注目すべきであります。衆生の身・口・意業はあくまでも三業であるはずで、それをあえて三密といい、仏の行為と衆生のそれを重ねている、ということができましょう。

六大新報 第四四三三号 掲載

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