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水面の月 水面の月

第七回 幸福になる方法

清風学園
専務理事・校長
平岡 宏一

 先日、ワタミ株式会社会長 渡邉美樹さん主催の『みんなの夢シンポジウム』に出席させて頂いた。多くの人々に夢を持たそうとする渡邉さんのお話を伺い強い感銘を受けた。お話のポイントは“自分の幸福の中に、他人の幸福を入れよう”ということ。つまり他人の幸福を自分の幸福と感じられるようにしていこう、ということだ。
 渡邉さんは、介護分野に進出して「三無い運動」というものを始めたという。「三無い運動」とは、流動食・車椅子・機械による入浴のことで、これらを取り入れている施設はポイントが上がり、助成金をもらえる。とはいえ流動食・車椅子・機械による入浴は、いずれもお年寄り側に立ってみれば負担である。口から食物が摂れる事は食事の楽しみに繋がる。車椅子無しで歩行が出来るようになれば、生きる気力を呼び起こされる。ましてや弱ったお年寄りに、車の洗車のような入浴は体力ばかりではなく、人間としての尊厳や生きる気力を失わせることになりはしないのか?渡邉さんの運営する施設は、この三者を出来るだけ少なくし、お年寄りの生きようとする元気を取り戻す方向で運営していかれたそうだ。その結果、補助金は減ったけれど、入居者は激増、介護業界ナンバーワンになったという。
 これを「渡邉さんはお金持ちだから出来たことだ」ということは簡単だが、本当にそれていいのだろうか。
 この話を聞いて、以前、学園の高野山修養行事で出会った、お遍路姿のタクシードライバーに聞いた話を思い出した。彼もかつてはお遍路さんを札所に運び、お寺の外でタバコを吸っていた普通の運転手だった。けれども或る時、深く悩む夫婦のお遍路と一緒にお参りしたのをきっかけに、彼らが一心にお祈りする姿を見て、如何なる悩みかは計り知れないが、ともに祈ってあげるようにしようと思い立った。一緒にお参りしていると、自分も遍路の格好をする方が相応しいと思い、自然にそうするようになったそうだ。その日の乗客は北海道の方であった。このタクシードライバーの噂は口こみで広がり、タクシー不況が言われる中、今では全国から用命されているという。
 インドの僧シャンティデーヴァは、「世間のあらゆる楽、それは他人の楽を望むことから生じる。世間のあらゆる苦、それは自分だけに楽を望むことで生じる」と述べている。千年以上前の人物だが、ダライラマ法王が説法会で度々引用される言葉だ。
 凡夫の我々は自分のことだけ考えて生きているが、自分独りを幸せにすることもできない。しかし、他者の楽を思い遣れる者は、自分も含めて多くの人を幸せにすることが出来る。なかなかエゴから脱却できない我々にとって、これは一見、難しいことだ。しかし、これらの例などは、この言葉が、今も変わらぬ真理であること示している。
 さて、自分を愛しいと思う気持ちを利他に転換していくヒントになるかもしれないお話がお経にある。
 パセーナディ王が王妃とともに釈尊のもとにやって来たときのことである。王は釈尊に「お釈迦様。二人で『この世で最も愛しいものは何か?』と話しておりましたところ、結論として“それは自分自身である。自分自身より愛しいものはこの世には無い”という結論となりました。この結論はどこか間違ってはしないかと不安になりました。いかがでありましょうや?」これに対し釈尊は「いずこへ行っても自分より愛しいものは無い。それと同様に他の人々も自分はこのうえも無く愛しい。ならば、自分を愛しいと知る者は他人に危害をくわえてはならない。」とお答えになったという。
 人間は、誰もが自分自身を愛し、大切に思っている。自分が自分を愛するのと同じく、他の人も自分自身を愛しているということを想像し、自分を他者に置き換えてみて、他者を思い遣ることできるはずだというお考えには、人間だけが持てる深い智慧がある。本当は誰でも出来ることの筈だ。これを実践するか否かが仏教的な生き方のベースであり、自分も他者も、ともに幸せになる鍵なのではないだろうか。
 ところで、渡邉さんのお話でもう一つ心に残ったのは、他者の幸せを思う生き方をしている人は、自然と神仏の応援を享けられるという言葉である。様々な経験から渡邉さん自身が直観されたことなのだろうと思ったのだが、仏教者の立場からも最後にこれを考えてみたい。
 一般に佛の慈悲は一切衆生に平等とされている。では、慈悲が同じであるならば、佛を供養した方が功徳があり、供養しない者には功徳が無いとされるのは何故だろうか。
 一切衆生に対しての慈悲は平等であるから、佛にえこひいきは無い筈だ。これに関して仏教では、佛の側からは慈悲は平等であるが、供養によって、衆生の側が徳を積むことで佛の加持を受けるのだと説明する。
 「凡夫が菩提心を起こすと、衆生を救済する仲間が増えたとして、仏様方は大変喜ばれる」とお経に説かれている。他者を思い遣る気持ちをしっかり持って行動する者は、仏の衆生済度の誓願にかなう者として、信仰心の有る無しに関わらず、佛菩薩の応援を頂戴することは、間違いないと思われる。
 我々はエゴイズムからなかなか脱却できないが、自分の経験から想像力を働かして他者を思い遣ることはそう難しくはない。この世の誰もが幸せになりたいと願いながら生きている。自分が心から幸せを願うように、他の人も必ず幸せを願って生きているはずである。自らを愛するように他の人を愛することができる人、自分と同じように他の人を大切にすることができる人には、佛菩薩も必ず応援してくださるだろう。そういう子供達が、一人でも多く育ち、この国の未来を担ってくれる日が来ることが、教育者としての私の夢である。



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