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第八回 ダライラマ法王の
清風学園
専務理事・校長
平岡 宏一
11月1・2日、高野山でのダライラマ14世の金剛界灌頂の通訳をさせて頂くご縁を頂戴した。 多種多様な意見があった中、ダライラマ法王を招聘し、高野山という地でお大師様ゆかりの金剛界の灌頂を主催された高野山大学の藤田学長先生はじめ諸先生方には、歴史的意義のある大行事を実行されましたことにまずもって心より敬意を表したい。
さて、法王様の金剛界の灌頂は、2006年に宮島大聖院でも勤修され、私はその際も通訳の一人として参加させて頂いた。その際に特に感じたこと等を残すことはなかったが、後で少し後悔した。今回は灌頂での熱い気持ちが冷め遣らぬうちに、このようなかたちで機会を与え頂いたことに感謝したい。
チベットの金剛界の灌頂は、サキャ派の支派ツァル
ダライラマ法王の属するゲルク派の始祖ツォンカパは、「『
にもかかわらず法灯継承者が少ない理由は、チベット密教は
2006年の宮島の灌頂に際し、私は通訳のサポートとして、ゲルク派の密教の総本山ギュメの若手№1としてアメリカでの布教に派遣されていたガラムパ(密教博士)のイェーシェードルジェ師を招聘し、灌頂前の一ヶ月、自宅にホームスティしてもらって金剛界儀軌の勉強の特訓を受けたが、その時、彼は金剛界の灌頂儀軌の複雑さに驚嘆していた。本会の儀軌の項目だけで百弱ある。たとえば、入壇にも内外の区別があり、入壇に際しての準備も
また印も複雑で金剛界三十七尊以外に多種多様な印があり、例えば、供養の印でも他の灌頂と異なり、
さて、このような貴重な灌頂であったが、日本の受者の態度もそれに相応しい素晴らしいものであった。私は通訳の席であったため、受者全体の様子を眺めることが出来た。
居眠りしている者は殆ど居ず、大変真剣に受けてらっしゃる様子が伝わってきた。特に川崎一洋先生はじめ多くの僧侶の方々が、瓶灌頂の際、三十七尊のお名前が呼ばれる度に、一々合掌をされていたことや、百八名讃を法王様がお唱えになってらっしゃる時に、合掌して一心に耳を傾けておられる敬虔なお姿を拝ませて頂き、ここはお大師様が開かれた金剛界の道場なのだと、今更ながら感じて深い感銘を受けた。
また、法王様の方も灌頂の菩薩戒受戒の際に、「奥の院にお大師様が今も智慧の御体でいらっしゃることは十分にありうることだ。お大師様の面前でお受戒を頂いていると思って受けなさい」とおっしゃったことが印象的だった。法王様は高野山に登る車の中で、藤田学長先生から奥の院の説明を聞かれて、翌早朝、御自身の強いご意志によって灌頂の前会の前に奥の院を参拝されたが、何かしらお感じになることがあったのだろうか。
さて、高野山でのお受戒は、申し述べるまでも無いことだが、最初に懺悔をしてから三宝への帰依を申し述べる順番である。チベットでは逆に三宝帰依の後、懺悔である。生徒が毎年お受戒を頂戴する際にチベットは逆だと思っていたが、果たして法王様の金剛界灌頂では、菩薩戒は懺悔が先でその後に三宝帰依となっていた。金剛頂経の釈タントラのVajrasekharaが典拠のようだが、金剛界独自の菩薩戒の形式ということであった。今の高野山のお受戒と相通じるものがあるように感じた。
最後に会場での承仕のボランティアを引き受けて頂いたサマヤプロジェクト21の僧侶の皆さんにも助けられたことをお話しなくてはいけない。
瓶灌頂の際、金剛界三十七尊を法王様が瓶の中の水に
サマヤの皆さんには、昨年の11月に京都の大覚寺と奈良の当麻寺中之坊で行われたギュメの元管長のロサン=デレ阿闍梨の灌頂を主催して頂いたが、あの経験があったので、大変スムーズだった。しかしもっと言えば、あの灌頂が無ければ、メンバー皆が法王様の灌頂に参加していたとはとても思えず、意図したことではなかったが、あの灌頂が今回の予行演習になっていた。仏様のご配剤のように感じられて今では不思議な感さえある。いずれにせよ、高野山大学の関係者はじめ、何としても成功させたいという皆さんの熱い思いの結集で、やり遂げることが出来た灌頂会であった。