Samayaでは賛助会員を募集してい
ます。入会申込書をダウンロードし、
印刷して必要事項をご記入の上、
郵送、もしくは、FAXしてください。

入会規約はこちら (PDF: 87KB)

【PDF: 94KB】

水面の月 水面の月

第九回 「志」-心の力をつけるということ-

清風学園
専務理事・校長
平岡 宏一

 ある時、中学の入試説明会で出会った保護者から、突然、「今日はお礼を言いに参りました」と言われて驚いたことがある。そのお母さんによると、次男は来春中学受験だが、長男は清風高校を卒業後、浪人中であるという。戸惑う私に、彼女はこんな話をしてくれた。
 当時、医学部を目指し猛勉強中の長男に、薬剤師をしている叔父さんが次のようなアドバイスをしたという。
 「医者は数も多くなっているし、訴訟されるケースなどやっかいな問題が年々増加している。将来、医者は割りの合わない、儲けが見込めない仕事になるだろう。自分の経験から言っても、今後は薬剤師の方がはるかに儲かり、将来性がある。方向を転換してみたらどうだ?」
 これを聞いた長男は即座に、「自分が医者を目指すのは、医師が定着しなくて困っている地域で、人々の役に立つ医師になる為であって、儲かるか否かは問題ではない。叔父さんと僕とでは価値観が違う。」と答えたという。息子のこの言葉を聞いたお母さんは、心から喜んで、この出来事を是非とも伝えたいと私を訪ねて下さったのであった。
 私にとってもそれは本当に嬉しい話で、翌朝の朝礼で、「現在の成績が如何なる状況であろうとも、誰かの役に立ちたいという志で頑張ろうとするなら、その者は清風魂の継承者である。本校はそのような諸君を教育するために創立された学校である。」と、生徒達にこのエピソードを紹介した。
 その後、特定非営利活動法人AMDA(アムダ) 理事長の菅波 茂先生にお会いした際にこの話しをさせて頂いたことがあった。AMDAとは、世界中での災害や紛争発生時、医療・保健衛生分野を中心に緊急人道支援活動を展開する医師団である。菅波先生は、「そういう志の青年にAMDAに来てもらいたい。志が無ければ、いかに技術が高くとも役には立たない」とおっしゃって、こんな一見不可思議なお話をしてくださった。
 AMDAは創設以来、派遣した医師で一人の犠牲者も出していない。世界の紛争地域に派遣するわけだから、それは奇跡的なことと思えるが、その秘訣は、派遣の話をした時に、すぐ「はい」と答える人だけを派遣し、「何故私ですか?」と聴いて来る人は決して派遣しないことだという。菅波先生いわく、その地域において自分の果たすべき役割を自覚している者は、なんの抵抗も無く派遣を受け入れ、また不思議に役割を果たすことができる。逆にそうでない者は、直感的にその派遣に危険を感じて自然に回避するからだと解釈しているとのことであった。
 使命感を持って自然にその任務に就けるということは、既にその任に当るべき役割を帯びているということなのだろうか。私自身のことで恐縮だが、昨年ダライラマ法王の通訳に指名して頂いた時、「はい」と答えておきながら、日が近づくにつれ、プレッシャーを感じていた私に、ある友人が次のようなアドバイスをしてくれた。「様々な条件の中で、法王様の通訳に指名されたということは、そのこと自体がすでに選ばれたことであり、ゆるぎない使命感を持って取り組めば、成功は半ば約束されている」その言葉は、私の心をとても安定させてくれたし、実際、私は恙無く役目を果たすことができた。
 さて、先日、久々に或る卒業生が訪ねてきた。彼はかつて私が担任をした卒業生で、東大卒業後、三井物産で10年務め、家業の教育出版事業を継承するために大阪に戻ってきたという。三井物産ではサウジアラビアの国営石油会社サウジアラビコ社との取引を主に担当していた優秀な社員であった。彼もまた人間力の大切さを私に話しに来たのだった。
 「ライバルである三菱商事や住友商事、シェルなどとの競合の中で、出してくる値段が大きく変わらない場合、最終的には担当者の人間性やビジョン、社会貢献への情熱が、サウジアラビコ社の担当の心に届くか否かがポイントになってきます。どういう志でそれまで過ごしてきたかが問われるのです。そのことに気付いた時、教育の果たすべき役割は大きいと感じました。」と彼は話してくれた。 
 我が国最古の私立大学である綜芸種智院の創立者である弘法大師は、その設立趣旨書である『綜芸種智院式』の中で「物の興廃は必ず人に由る、人の昇沈は定めて道に在り」と述べられているが、これはまさに現代の日本を映す言葉のように思える。仏教では、すべての問題を解決する鍵は心の有り様であると説くが、それは単に気持ちの持ち様をいうだけではない。
 先日逝去された剣道の達人、西善延九段は91歳まで道場で稽古をつけられたそうであるが、誰一人として勝つことが出来無かったという。対戦経験のある関西大学准教授アレック・ベネット七段は、「西先生には、体力で劣っているはずが無いにもかかわらず隙が全く無く、“気”で圧倒されてしまう。誰も勝てなかったのは、技術ではなく、間違いなく心の力だ」とおっしゃっていた。心には我々が理解できていない不思議な力があるのだ。
 心とどのように向き合っていくか、この心の力をどう利用していくということが肝要だ。人は心の赴く方向によって人生が決まる。志を立てることができれば、その方向に向かって人生は開けていく。ある進学校の校長が「最近の学生には志がある者が少ない」と溢していたが、それは我々教育者の責任だろう。個人主義が蔓延してしまった結果、他者の幸福を思い、人生の志を立てるような子供は少なくなったといわれるが、なかなかどうして、今の若者は、捨てたものではないと思う。
 教育に携わる者はついつい学力の伸張だけに眼を奪われがちであるが、たとえ学力があっても自己保身に終始する人間ばかりが増えれば、その国は廃れる。誰かの役に立つ事に喜びを見出し、自分だけでなく他の人々の幸せを自分の人生の目的とできる大きな志を抱く若者を育ててゆくこと。現代の日本における教育者の責務は益々大きい。




≪ 一覧へ戻る

HOME | お知らせ | 活動内容 | 法人概要 | お問い合せ | お大師様のことば | 水面の月 | 祈りの風景 | イベント情報 | ブログ「SHOJIN」 | 入会申込書(PDF)