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祈りの風景 祈りの風景

第二回 美学 -びがく-

湯通堂 法姫

 両親が年老いてから生まれた私は、かなり過保護に育てられた。学校と家との往復以外、外の世界をほとんど知らなかったし、友達と遊びに行ったり買い物をしたりという経験もない。ただ本を読んでいれば、いつも満足している子供であった。

 初めて小学校の図書館に入り、ここにある本を全て読んでも良いといわれた時の興奮を昨日のことのように思い出す。三方の壁一面に整然と並ぶ膨大な本の数に圧倒されながら、最初に手に取ったのは『曽我物語』。日本の古典文学を、子供向けの易しい文章と美しい挿絵で描いたシリーズの中の一冊であった。
 『曽我物語』『平家物語』『義経記』『太平記』『吾妻鏡』‥‥。なぜか女の子らしからぬ軍記物ばかりを次々と読んでいったのは、挿絵に描かれた美しく凛々しい若武者達に、子供心に憧れていたからかもしれない。

 『曽我物語』は、鎌倉時代の初め、源頼朝の治世、理不尽に父を殺された曽我十郎と五郎の兄弟が、艱難辛苦を乗り越えて成長し、富士の裾野の鷹狩りの夜、仇敵・工藤祐経を討ち果たすという物語である。
 多勢に無勢の戦いの中で、兄は弟をかばって討ち死にし、弟は仇討ちを果たした後、頼朝の配下の武士に捕えられ、自らの大義を主張し、やがて処刑される。
 勇壮な戦いの場面もさることながら、幼い兄弟に父の復讐を誓わせる母親の気丈さや、成長の過程での兄弟の苦悩など、大人になって読み返すと、なんとも残酷な物語だが、幼かった私は純粋にこの兄弟に同情し、二人の孝行心の強さに感動し、生き様の潔さに共鳴した。もしも自分が同じ立場におかれたら、母や弟妹を守り、父の仇を討つのだと真剣に誓ったものであった。

 母方の先祖が平氏の流れを汲む一族だと聞かされていたためか、『平家物語』にも特別の感慨があった。
 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」という名文で始まる『平家物語』は、この世の無常と人の栄華の儚さを描いた軍記文学の最高傑作である。平安時代末期、爛熟した貴族政治の産物として台頭してきた平氏と源氏という二大武士勢力の興亡を主軸に、時代の変動期に生れ合わせた人々の様々な人間模様が、美しくも哀しい切々とした文章で織りなされてゆく。
 しかし幼い子供には、権勢の限りを尽くして滅びゆく平家の公達よりも、敵将・源義経の勇壮な八艘飛びや那須与一の扇の的の場面の方が、はるかにドラマティックで胸躍らせるものであった。
 やがて大人になり、この作品が源氏の鎌倉政権下の時代に描かれたこと、琵琶法師によって語り伝えられた鎮魂の物語であることを知った。洋の東西を問わず、公の歴史書に書き残される出来事は勝者の歴史であり、勝者の目線で見た史実である。いつの時代にも、敗者には敗者の史実があり、それは文学や芸能の中に、秘やかに語り伝えられてゆく物語となる。

 十歳前後で、こうした書物に出会えたことは幸せであったと思う。極端な箱入り娘であった私にとって、本は世界の全てであった。とりわけ美しい日本語で紡ぎ出される古典文学は、時間も空間も超越していて、やがて『水滸伝』『三国志』『アーサー王物語』『マクベス』『三銃士』など、世界の文学の海へと私を導いてくれた。
 曽我十郎・五郎の兄弟愛、平資盛の諦観、武蔵坊弁慶の献身、楠正成の忠誠‥‥‥‥。武士達の生き様、死に様は、幼い私の価値観の原点になった。人には生命を賭して守るべきものがあるということ。情愛を断ち切っても貫かねばならない信義があるということ。名を惜しみ、誇り高く生き、守るべきもののために戦って死ぬことの美学は、幼い私の心の奥に深く刻みこまれた。

 この世界で最も貴いものは生命であると信じて疑わない現代の社会で、生命よりも貴いものがあるということは、古臭い価値観といわれるかもしれない。勿論、かけがえなく生命は尊い。私は決して生命を軽んじたり、おざなりな人生を生きることを良しとはしない。何にもまして尊いものだからこそ、生命には賭する価値があるのだ。
 仏教では、この世の全てのものが、須く仏の生命を具有した存在であり、自分の生命も他人の生命も、等しく尊い仏の生命であると説く。自分を殺すことも、他人を殺すことも、同じく殺生の罪なのだ。

 「人生は戦場だ」と言った人がいたが、たしかに多くの苦難と戦いながら人は生きてゆくのかもしれない。だがそれは、誰かに勝つための戦いではなく、自分に負けないための、孤独で終わりのない戦いだ。だからこそ人は、神や仏に祈り、誰かを愛さずにはいられない。
 時折、眠れない冬の夜長など、この戦場から逃げ出したくなった時、あの物語の主人公達の潔い生き様を思い出す。彼らのように、私は愛するものを守りぬくことができるだろうか? 父や母や、私を愛してくれたすべての人に恥じることのない人生を生きているだろうか? そして心から祈るのだ。どうか最期の瞬間まで、気高く瞳をあげて、戦いつづけることができますように。たとえ愚かしく死ぬとしても、卑怯に生きることがありませんように。いつか私の人生が、誰かの支えとなりますように。

 



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