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祈りの風景 祈りの風景

第四回 祖国 -そこく-

湯通堂 法姫

 古来、桜は豊穣の神の化身とされた。神は美しい花の姿で山から降り、里の民には田植えの時期を知らせ、海の民には漁の季節の到来を告げた。『万葉集』には、老若男女が桜の枝を身につけて不老長寿を祈ったという長歌が収められている。日本在来の花である桜は、古代の人々にとって、万物が冬の眠りから目覚め、山野に力強い生命力が満ちる季節の象徴であった。
 平安の貴族達は、この花の生命力よりもむしろ短い花の命や儚く散りゆく様に人の世の無常を重ね合わせ、その風情を愛でた。やがて武士の時代になると、絢爛と咲き潔く散る花の有様が、その死生観や美意識に強い影響を与え、日本人の精神文化を体現する花となった。西行法師は「花の下にて春死なむ」と願い、薩摩守忠度は辞世の和歌を桜の一枝に結び、本居宣長は「朝日に匂ふ山桜花」こそ日本人の心であると詠った。

 桜の便りを待ちわびる春まだ浅い日の午後、この国はかつてない大きな悲しみに見舞われた。これまで世界が経験したことの無い激しい地震と想像を絶する巨大な津波がもたらした惨劇に、誰もが驚愕し戦慄した。
 強大な自然の猛威の前で人間はあまりにも無力だ。人も家も、街そのものを呑み込み、押し流す黒い濁流や連鎖して広がる紅蓮の炎に、科学も文明も為す術は無く、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
 時を追い、日を追うごとに増大する死者や安否不明者の数に圧倒される中で、この天災に遭遇した人々の勇気ある行動が私達を感嘆させた。最期の瞬間まで防災放送のアナウンスを止めなかった若い女性職員、波に呑まれると知りつつ避難誘導を続けた警察官や消防団員、教え子の安否を確認しに戻り、再び帰ることのなかった教師、身体の不自由な老人を助けようとして逃げ遅れた介護士の若者・・・・・・。
 迫りくる死の恐怖と直面しながら、生命を賭して自らの職務を全うしようとした無名の人々の英雄的行為とともに、破壊的な一夜が明け、遺された生存者達が深い絶望と悲しみの中にありながら、隣人を気遣い、大人が子供を、子供が老人を支え、助け合う姿が世界に配信され、日本人に対する称賛を呼び起こした。

 歴史には、その悠久の流れを大きく転換させる瞬間がある。あの春の日の前と後とで、私達の心象風景は一変したといえるかもしれない。日本人の多くが、この甚大な天災と、それに伴って起こった原発事故の悲惨な状況を未曾有の国難と理解した。誰もがこの悲劇を遠い東北地方の出来事とは思わず、日本全体の問題として悲しみや喪失感を共有し、「がんばろう日本」が、国民の合言葉となった。
 敗戦以来60余年、かつてこれほど日本人が「日本」という言葉を意識し、口にした時代はなかったのではあるまいか。戦後の急激な価値観の変化の中で、私達の祖先が培ってきた伝統的な在り方は否定され、偏った歴史教育を受けて育った子供達は、父や母を敬うことも、自分の生まれた国に誇りを持つことも知らぬまま大人になった。
 守るべきものも依るべきところも無く、ただ彷徨い続けるしかない魂の往き着く先には、夢や希望を見失い、漠然とした不安に閉ざされた荒涼たる風景が広がっていた。子が親を棄て、親が子を殺す。そんな事件が日常茶飯事となり、多くの人が自分の国や自分が生きている社会に絶望しかけていた時、あの出来事は起こった。

 小泉八雲は、著書『心』で、「日本の国民性のうちに、利己的な個人主義が比較的少ないことは、この国の救い」であり、これこそが西欧列強による植民地政策の時代に呑み込まれることなく「自国の独立をよく保つことを得せしめた」と述べ、忍耐や勇敢、冷静や秩序、そして献身こそが日本人の美徳であると称えた。
 放射能という目に見えぬ恐怖と闘い続ける自衛隊やレスキュー隊員、被爆の危機に晒されながら不眠不休で勤務する原発の作業員達、自分の家族の安否もわからぬまま復旧活動に従事する人々の姿は、日本人が封印してきた遠い記憶を呼び覚ました。長い年月、口にすることをためらってきた言葉を、ようやく私達は素直に唇にのせることができるようになった。「日本人は素晴らしい」「日本の力を信じている」「私はこの国を愛している」・・・。

 人は生まれる時代や国を選ぶことはできない。いつの時代にどのような国に生を享けるのか、それは神の定めるところである。四方を海に囲まれ、熱く燃える火の山を抱いた「豊葦原の千五百秋の水穂の国」(とよあしはらのちいほあきのみずほのくに)こそ私達の祖国だ。長い歴史のなかで幾度もの苦難に見舞われながらも、私達の祖先は忍耐強く勇敢に運命を切り拓いてきた。
 自分の生まれた国を愛することは父や母を愛することであり、祖国を誇ることは自分自身が誇り高く生きることである。父や母の、そのまた父母が生まれ、愛し、眠る祖国の大地に、いつの日か私も還る。その日まで、この美しい山河に私はなにを遺せるだろうか。

 日本は山の稔りと海の恵み豊かな国である。とりわけ北の国の春は見事だ。長く厳しい冬を耐え忍び、ようやく廻り来た春を謳歌するように一斉に緑が芽吹き、花が咲き、鳥が唄う。傷ついた彼の地にも、やがて遅い春が訪れることだろう。今年の桜は、きっと格別に美しいに違いない。未だ鳴り止まぬ大地を鎮めんが為、海に呑まれし幾千万の魂を弔わんが為、そして遺されて生きねばならぬ人々の哀しみに寄り添わんが為、花よ、花よ、心して咲け。



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