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祈りの風景 祈りの風景

第十四回 家族 -かぞく-

湯通堂 法姫

 寺で生まれ育った私にとって、クリスマスは全く無縁のお祭りであった。二学期の終わり頃になるとクラスの話題を集めるサンタクロースからのプレゼントや、同級生の家で開催されるクリスマスパーティーへの誘いなども、どこか遠い世界の物語のようであった。
 夕餉の食卓で、幼い子供達の間で展開される他愛もない話題を持ち出すと、「それは異教徒の祭り、仏教徒のお前には関係ない」と父に一蹴された。子供心にも、我が家には決してサンタは訪れないだろうと私は確信していた。

 クリスマスは、イエス・キリストの降誕を記念するキリスト教の祝祭である。『新約聖書』には、イエスの誕生日を特定する記述は無いが、ユダヤ教暦やローマ帝国の暦を踏襲した教会暦においては、12月24日の日没から25日の日没までの一日を祝祭の日としている。
 クリスマスの祝い方は多様である。カトリック教徒の多いイタリアやフランス、ポーランドなどのクリスマスは12月24日の夜に始まり、翌年1月6日の公現祭まで続く。
 ローマカトリックから離脱し、熾烈な宗教対立の果てに独自の国教を確立したイギリスでは、24日の夜には家族が集い、25日には揃って教会のミサに出席する。グリーティングカードを送る習慣やサンタクロースがプレゼントを持って現れるという言い伝えは、イギリスから世界に広がったといわれている。
 イギリスの習俗を受け継いだアメリカでは、24日のイブと25日は家族と共に過ごす日と考えられており、各々の家に伝わる伝統的なクリスマス料理を囲み、家族で贈り物を交換し、降誕祭を祝うという。
 日本で初めてクリスマスが祝われたのは天文21(1552)年、宣教師コスメ・デ・トーレスが行った降誕祭のミサであったといわれている。しかし、その後の江戸幕府による禁教政策によって、この祝祭は忘れ去られた。
 明治の文明開化を経て、クリスマスの習慣は西洋の洒落た文化として再び受容され、やがて年中行事として定着した。駅やデパートなどの商業施設では、早いところでは11月からクリスマスツリーが飾られ、町中に流れるジングル・ベルや街路樹を彩るイルミネーションなどの華やかな風景は、日本の年の瀬の風物詩でもある。
 宗教に対する寛容さと信教の柔軟さを特徴とする日本人にとって、クリスマスはキリスト教徒の祝祭日というよりも年末の心浮き立つイベントのひとつであり、家族を中心とする本来の伝統的な過ごし方よりもむしろ、恋人同士の特別な日として定着した感がある。

 クリスマスソングを耳にする度に思い出す光景がある。数年前のクリスマスの日、偶然に観たテレビニュースの映像で、ある教会のミサの様子が映し出された。讃美歌を歌い、祈りを捧げる老若男女の中で、カメラは一人の老女の姿をクローズアップした。それは、北朝鮮による日本人拉致事件の被害者とされる少女の母親であった。
 1970年代から1980年代にかけて、北朝鮮の工作員によって多数の日本人が拉致された国際犯罪事件は、当時、その真相を知る手段も立証すべき証拠もなく、謎の多い失踪事件として処理された。自らの意思に反して、暴力的に見知らぬ国に連れ去られた人々やその家族達に社会の理解と同情が集まり、国が救出に向けて動き出すまでには、長い年月を必要とした。
 1977年冬、下校途中に拉致された女子中学生は、私とほぼ同世代の少女であった。愛する我が娘を理不尽に奪われ、その後の数十年の歳月、社会の無関心と政治の無策の中で、生存を信じ、消息を求め続けた家族の苦しみは筆舌に尽くし難いものであったろう。国際社会の思惑や国益という大きな壁の前で、母は、ただ親としての純粋な心情と悲憤を信念にかえて、この過酷な運命に立ち向かってきたに違いない。目を閉じ、両の掌を強く組んで祈りを捧げる老いた母親の横顔に刻まれた深い苦悩を、私は今でも忘れることができない。

 ある時、親しい友人から、もしも今生と同じ条件で、つまり両親や兄弟や生まれた家などの家庭環境が今の人生と全く同じ条件を与えられたとしたら、もう一度、その人生を生きてみる気はあるかと問われたことがある。その問いに私は即答した。「勿論。喜んで。」
 どのような時代に、どこの国のどういう家族の下に生を享けるのか、それは人がこの世に誕生した瞬間から背負う宿命のようなものである。三世を超えた因と縁とに導かれて結ばれた家族という共同体の中で、子供は愛や慈しみや人としての在り方を学ぶ。赤子が幼児となり、小学生、中学生と年齢を重ね成長してゆく過程で、親は様々な喜怒哀楽を共にする。
 生まれかわり死にかわる輪廻の中で、人として生まれ、親となり子となることは千分の一、万分の一の得難き巡り合わせである。時には有難く、また時には疎ましく思いながら、当たり前のごとく享受してきた家族という幸せ、親に叱られ、兄弟と喧嘩しつつも、深い縁と情愛で結ばれた家族の中で同じ時代を生きるという幸せは、決して凡庸なものではないのだ。

 果たせなかった約束、叶わなかった夢。様々に、数えきれぬ悔いを抱いて人は今生を生きる。あの母娘にも当然あったはずの平凡で幸せな未来は、あの冬の日の夕暮れ時に凍りついたままである。
 今年のクリスマスは例年にない寒波に見舞われた。少女が囚われている北の国は、日本よりもはるかに厳しい寒さであると聞く。今なお酷寒の異国の地にある娘の為に祈りを捧げているであろう老いた母親の姿を想いながら、彼らの再会の願いが一日も早く叶うようにと祈る。母と娘が今生において必ずや再びまみえることができますように。この哀しき運命を負わされた家族達の切なる願いを、神よ、どうか聞き届けさせ給え。



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