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第十六回 四国遍路 -しこくへんろ-
湯通堂 法姫
先輩の僧侶から京都組寺会が主催する四国八十八ヶ所霊場詣りに誘われたのは、今年の初めのことであった。京都組寺会の巡拝は三年を一巡としており、今年は八巡目の第一回にあたるという。以前から四国遍路に関心がなかったわけではないが、日常の生活に追われる中で、長期間を留守にする旅など無理だと諦めていた。しかし、八十八ヶ所を三年に分け、一年に四日づつ札所を巡る「区切り打ち」ならば可能であろうと、この巡拝団に参加することにした。
四国八十八ヶ所は、日本の巡礼の代名詞ともいえる弘法大師空海ゆかりの聖地である。四国四県を発心(阿波徳島)、修行(土佐高知)、菩提(伊予愛媛)、涅槃(讃岐香川)の四つの道場と位置付け、修行僧や修験者たちが、弘法大師の足跡を辿って遍歴したのが四国遍路の始まりであるとされている。
数ある日本の巡礼の中でも、遍路というのは四国八十八ヶ所の巡礼にのみ使われる言葉である。『今昔物語』には、その語源となる四国
「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば我が願いも尽きむ」という永遠の衆生済度を誓った空海が、入定の後も今生に身を留め、諸国を行御して人々を救済しているという弘法大師信仰の広がりと共に、江戸時代には僧侶だけでなく一般の民衆にも四国遍路が普及したといわれている。
病気平癒などの現世利益を願う者や、亡き人との再会を求め、あるいは犯した罪の贖いの為に、様々な想いを抱いて四国の地を訪れた人々は、起伏の多い険しい道や山肌をつたうような困難な道、波しぶきにぬれる海辺の道など、実に1200キロに及ぶ道程をひたすらに歩む。今生の深い苦しみを背負って旅行く巡礼者を支えるのは、自分は決して独りではなく、常に傍らには修行姿の弘法大師が寄り添い、共に歩んで下さるという「
二十年の伝統を持つ京都組寺会の巡拝団は四国でもよく知られた存在であるという。揃いの白い服に
巡拝団最高齢の八十二歳の男性や既に八十八ヶ所を何度も巡っているという先輩遍路の中で、私は最も若い新参者であった。
バスを降り、山門に到るまでの石段や坂道では三人の
五月の末、例年よりも一足早い梅雨の走りの空の下、夢中で過ごした四国での四日間は、私に信仰の原点のようなものを見せてくれた。体調を崩して訪れた診療所で、保険証を忘れてしまった私を無償で診察してくれた医師。お遍路さんだからと帰りのタクシーのメーターを途中で切ってくれたドライバー。暑さや突然の雨で疲れ切った巡礼者達に施されるお茶や果物、手ぬぐいなどの「お接待」。この地には数世紀にわたって受け継がれてきた純粋な布施の系譜があると私は確信した。
昭和初期に日本に滞在し、民俗学的見地から四国遍路を研究したドイツ人、アルフレート・ボーナーは、著書『同行二人の遍路』の中で、「巡礼者が風光明媚さによって惹きつけれらる所は四国以外にはなく、また住民の参加をもたらし、彼らから尊敬されている所は四国遍路以外どこにもないだろう」と述べている。
気まぐれな山の天気に弄ばれながら黙々と登る坂道の途中で、足元に咲く一輪の小さな花に癒され、木々をわたる風の中に自然の恵みを感じ、陽光きらめく空と海のはざまに神仏の慈しみを見出す。厳しくも美しい四国の風土の中で、巡礼者達は弘法大師と共に歩み、神や仏に出遭う。その祈りの営みは千二百年の間、連綿と受け継がれてきたのだ。
幼い頃、両親から聞かされた話がある。結婚した年の夏、二人は揃って四国遍路の旅に出た。それは弘法大師に結婚を報告する為の巡拝であり、新婚旅行を兼ねたものであった。暑い夏の盛りの四国遍路は、母にとって辛い旅であったらしい。四国へ渡るフェリーでは酷い船酔いに苦しみ、水も食事も喉を通らない状態で必死に山道を登った。その時、全く自覚はなかったが、母の胎内には私が宿っていたという。暑さと疲れのせいだと思っていた吐き気や貧血が、実は
お前は有難い功徳を頂いて生まれてきたと口ぐせのように父は私に言った。今生に生まれ出る前に、母の胎内にあって既に四国八十八ヶ所霊場を巡るという幸せは、他の弟妹にはない総領娘の私にだけ与えられた仏の恩徳である。母が苦しみながらお前に施した功徳を決して忘れてはならないと言われた。
いつか自分が四国を巡る日があったら、この日の父母の恩に報いる為の巡礼にしようと私は心に決めていた。遍路に出ることになったと母に伝えた時、貴女は二巡目だからねと母は言った。二巡目とは、一巡目を無事に終えた者が、その感謝を捧げる為に再び巡拝することを意味するという。
かつて父と母が歩んだ大地を自分の足で踏み、亡き父の菩提と母の息災延命を祈る旅の途上で、私は不思議な体験をした。発心の道場と呼ばれる阿波徳島の山野で、淡紫の美しい花をつけた大樹をいくつも見かけた。大きく枝を伸ばし、細やかな花と葉がしなやかに風にそよぐ姿は、えもいわれぬ優雅なたたずまいであった。その大樹の下に人影を見た気がして、私は思わず身をのり出した。
深く編笠を被り、黒い僧衣と手甲、脚絆を付けた一人の僧が、こちらを見ているような気がしたのだ。目をこらした私の耳に、遠い日に聞いた懐かしい
四十代で出家した父は、その後、毎年、四国八十八ヶ所霊場を裸足で巡るという修行を自らに課したという。それは母を娶り、長女の私が生まれるまでの十数年間、欠かすことなく続いた。後半生を弘法大師への信仰に捧げた父は、敬慕してやまぬ大師の後ろ姿を追いながら、今もなお、あの聖地のどこかを巡っているに違いない。その父の後を私も辿ってみたいと思う。来年も、その次の年も。今生に人の身を享け、仏に出遭った幸いをかみしめながら。