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第十八回 星合 -ほしあい-
湯通堂 法姫
五節句のひとつである七夕は、日本古来の五穀豊穣を祈る祭りと中国伝来の
やがて盂蘭盆の風習などと融合し、江戸時代には庶民の夏の祭りとして全国に広まり定着した。
幼い頃に読んだ絵本によると、織女は天帝の娘で織姫という名であった。織姫はたいへん働き者で、
ところが二人は夫婦となった嬉しさのあまり、それぞれの仕事を顧みることなく遊び暮らすようになってしまった。織姫は機を織らず、夏彦は牛の世話をしなくなった為、神々の着物は古くなり、天の牛も痩せ衰えた。神々の苦情を聞いた天帝は怒り、二人に天の川の東岸と西岸に隔てて暮らすよう命じた。しかし娘の悲嘆ぶりがあまりに哀れであった為、年に一度、七月七日の夜に天の川を渡って、夫に逢いに行くことを許した。二人は改心して一生懸命に働き、年に一度の逢瀬を待ちわびたという。
織姫の織女星はこと座の一等星ベガであり、夏彦の牽牛星はわし座のアルタイルである。古代中国では織女星が蚕織を、牽牛星が耕作を司る星と信じられており、この物語は労働の大切さを教える説話として、アジアの各地に伝播したといわれている。
子供心にも織姫と夏彦に下された天帝の罰の残酷さには胸が痛んだ。たとえ仕事を怠けた報いとはいえ、愛する者と遠く引き離され一年に一度しか逢えぬとは、どれほど辛いことであろうと同情した。七月七日の夜はどうか晴れて、無事に星合いが叶いますようにと祈ったものであった。
高校生になった頃、母の書棚の古びた本の中に一首の短歌を見つけた。
百夜をば一夜にちぢめ一夜をば このたまゆらにちぢめたる恋
未だ恋のなんたるかも知らぬ少女には、この歌の深い意味は測り難かったものの、美しい三十一文字の言の葉に秘められた切ない余韻は、私の心に深く残った。それが吉井勇の歌と知ったのは少し後のことである。
吉井勇は、大正から昭和にかけて活躍した耽美派の歌人である。京都の花街や社寺を背景に、様々に織り成される人の世の喜び悲しみを情感豊かに詠み上げる作風は「生涯を通して万葉・古今以来の和歌の正道を歩いた歌人」と称された。
たまゆらの恋の歌は、幼い頃に読んだ織女と牽牛の物語に重なって、忘れ難い歌のひとつとなった。百の夜の切ない恋慕の情を忍び、年に一度だけ許された逢瀬。夜が明けると訪れる約束の別離。百の夜の闇と闇との間に煌く星の瞬きのような儚いたまゆらの恋。それでも向こう岸に想い人が待っていると信じて生きることは幸せだろうか。
星と星とが合うように、人もまた不思議な縁に導かれて出逢う。若くして運命の恋に出遭い、愛する者と長い年月を共に過ごすことのできる人もあれば、深く想い合いながらも今生では添えず、後生に願いを託す人生もある。
その昔、恋は孤悲とも書いたという。あまたの生き物の中で、人間は最も弱い生き物である。一人では、生まれることも生きることも死ぬことさえもままならぬ。だから孤独な魂を寄り添わせて共に生きる人を恋うるのだ。人を愛することは、相手の孤独を受け容れ、自分の孤独と向き合うことでもある。
暑さの中にも秋立つ気配を感じる七夕の宵、もの思いしつつ見上げる夜空は、明るすぎる地上の光に気押されたかのように