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祈りの風景 祈りの風景

第二十五回 朱夏 ‐しゅか-

湯通堂 法姫

 この夏、友人に誘われて久々に花火を観た。今年で64回目という茨木辯天花火大会は、「辯天さんの花火」として地元の人々からも親しまれる、北摂の夏の風物詩である。
 辯天宗は、戦後まもなく開宗された真言宗系の新仏教である。教化活動のみならず、教育や福祉活動にも積極的で、甲子園出場の常連校である智辯学園高等学校、智辯学園和歌山高等学校を経営することでも知られている。
 ほぼ一時間の間に打ち上げられる3,000発の花火は、檀信徒や篤心信者、地域の人々からの布施によるもので、各々に趣向をこらした美しい大輪の光の花が天空に開花し、光の雨となって降り注ぐ。圧巻の美しさであった。

 花火の起源は、古代中国の通信手段であった狼煙であるといわれている。13世紀頃にヨーロッパに伝わり、14世紀のイタリアで、キリスト教の祝祭の為に、初めて観賞用の花火が作られた。1532年、イギリスのヘンリー8世が王室の軍隊に花火師を徴用する法律を作り、戴冠式や婚礼など、王室の様々な祝事の折りに、花火を打ち上げて祝ったという。その後の王達も花火を愛好し、花火技術の発展に大きく寄与した。
 我が国に花火が初めてもたらされたのは室町時代とも戦国時代ともいわれている。前者は足利義政によって再開された日明貿易の成果であり、後者はヨーロッパの植民地政策の一環として来日したキリスト教宣教師によって伝えられたものである。天正10(1582)年3月、キリシタン大名・大友宗麟の城下の聖堂において、ポルトガル人宣教師によって、花火が打ち上げられたとの記録が残されている。
 慶長18(1613)年8月には、イギリス国王の国書を携えて来日した正使を、徳川家康が駿府城において、明国人の手による花火でもてなしたと伝えられている。この時の技法を学んだ徳川の鉄砲隊によって、三河地方を中心に日本の花火製造の技術は継承されてきた。
 火薬という戦争の道具から生まれた花火は、戦乱が去るとその役割を変えてゆく。王や大名の力の誇示としてのものから、疫病退散や五穀豊穣を祈る神事の奉納物として、また或る時は死者の鎮魂の為の役目を担い、庶民の文化のなかに定着してゆく。危険な火薬を扱い、決して表に出ることのない花火師の潔さや、一瞬のうちに咲いて消える天空の花の儚さと絢爛さは、桜の散り際を愛する日本人の気質によく合ったのかもしれない。
 玉屋、鍵屋が競い合った町人花火、伊達藩の仙台河岸花火に代表される武家花火など、江戸時代には様々な技術が改良され、独自の技法も生み出された。今日、大輪の内側に芯と呼ばれる複数の同心円を持ち、多彩に色を変化させ、真円に大きく花開く日本の花火は、「日本式花火」と呼ばれ、世界で最も精巧かつ美しいといわれている。

 祖母は生前、毎年夏に開催される地元の花火大会を楽しみにしていた。当時、私の生まれ育った寺の周りには背の高い建て物がほとんどなく、河川敷で打ち上げられる花火を庫裡の一室から観賞することができた。
 ほどよい遠さで、漆黒の夜空に次々と上がる花火を観ながら、祖母は時々、両の掌を合わせて祈るような仕草をした。幼かった私がその意味を尋ねると、あの空の向こうには、遠い異国の地で死んでいった兵隊さん達の霊が彷徨っている。生きて故郷に帰ることができなかった沢山の人達の魂が、この美しい花火で慰められているのだと言った。
 祖母の兄弟や従兄弟の中に、中国大陸や南方の海に散って逝った者があることを私が知ったのは、もう少し後になってからのことである。

 陰陽五行説には、人の一生を四季に置き換えた、青春、朱夏、白秋、玄冬の思想がある。少年期から青年期を万緑の萌え立つ春に、壮年期を照りつける夏の太陽に、中年から初老の時期を大気が澄み切った稔りの秋に喩え、人生の悲喜を乗り越えて至った老境は冬の黄昏に喩えられる。
 生まれてきた者は、悉く老い、死にゆく宿命にある。誰しも、いつ、どのような世界に生まれるかを選ぶことはできない。天寿を全うする幸せな人生もあれば、戦争や自然災害で非業に死なねばならない運命もある。かつてこの国にも、祖母の弟や従兄弟のように、多くの若者達が青春の只中に生命を落とさねばならなかった時代があった。今もなお、世界のいたる所で、紛争や内乱が止むことはない。
 私達が日常で出逢う歓び哀しみ、不満や挫折、病いや老いの嘆きも、生きていればこそ味わえる時の果実だ。生きられなかった者達の無念を想えば、この世の様々な苦でさえ、人生の賜り物のように感じる。
 次々と打ち上げられる頭上の花火を仰ぎながら、この豊かで平和な国に生まれ、人生の四季を全うできることの有難さを思った。大切な人々、愛する者達と同じ空の下、今、朱夏の季節を生きている自分の幸せを思った。知らぬ間に、あの日の祖母のように、両の掌を合わせていた。






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