お大師様のことば(十八)
大正大学名誉教授
文学博士・東京成就院住職
福田 亮成
この文言は、「沙門勝道山水を歴て玄珠を瑩く碑、並の序」の中の、沙門勝道という人物について紹介されたものであります。日光山の開基として知られます勝道上人(七三五~八一七)は、弘仁八年(八一七)三月一日に八十三歳で寂されました。お大師さまは四十四歳の時であります。そして、この文は弘仁五年(八一四)の四十一歳の時に書かれたものです。勝道上人は栃木に在住され、お大師さまは京都高雄山寺にお住まいでありました。場所は東西にわかれて遠方でありましても、四年間ほど同じ時空を生きた方であったわけです。
ではお大師さまは勝道上人と直接にお会いになったのでしょうか。どうやらそれはなかったようであります。文中に「余と道公(勝道上人)と生年より相見ず」とありますから。では、どのようにして勝道上人のことを知ることになったのでしょうか。やはり文中に「幸に伊博士公に因ってその情素の雅致(人柄)を聞き、兼ねて洛山(日光山)の記を請うことを蒙る」とありますことから、もっぱら下野の伊博士公という人物より資料が提供され、勝道上人の検証がなされたもののようであります。現在でも、お大師さまのこの文章は勝道上人に関する一級の資料とされております。
掲げました文言の、台鏡とは、台の上にすえられた鏡のことでありましょう。それも瑩きあげられた鏡であります。機水とは、人々とのことでしょう。鏡が少しかたむけられ、そこにうつしだされた人、それが勝道上人ということであります。『即身義』に、円鏡・円明の心鏡とありますが、みがきあげられた台鏡とは、円鏡、即ち大日如来ということにほかなりません。
六大新報 第四二二四号 掲載
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