諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(五十)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
智山専修学院長・東京成就院長老
福田 亮成



 この文は、「元興寺がんこうじの僧中璟ちゅうけいが罪をゆるされんことを請う表」の一文であります。「ひそかにその罪過ざいかたずぬれば、すなわち死しても余りのつみあり、その犯臓(犯罪)を論ずれば、すなわちくだきてもなおいまかず」というほどのものであったようであります。このことは、ただ一人の名誉を失うだけでなく、仏法を汚すことになり、国法をも犯すことにつながるものであると、大変強い調子であります。  さて、その犯した罪とはどのようなものであったのでしょう。その理由らしきことについて、「大樹仙人だいじゅせんにんあと曲城こくじょうに廻らし、慶喜道者けいきどうしゃ、悩を鄧家とけに被る」とあり、大樹仙人は曲女城の王宮の美女を見て、俗世間の欲をおこし、釈尊の弟子の阿難尊者あなんそんじゃ慶喜けいき)が摩登伽まとが女に誘惑される。という例をあげていることにより、女性問題なのかもしれません。「戒行を護らず。国典(国家の法典)を慎まず」ともありますことから想像されるところであります。さてこの文は誰に提出されたものでしょうか。陛下とあり、更にかるがるしく威厳をけがす、ともありますから朝廷の上層部の誰かに提出したものでありましょう。  幸いに書かれた日時が、弘仁五年閏七月二十六日、とあります。弘仁五年(八一四)は、お大師さま四十一歳の時となります。  傅教大師最澄さまは南都の仏教とは、鋭く対立した方でしたが、お大師さまは、南都の方々とは友好的でした。「元興寺の僧伝燈法師位」と、中璟という人の肩書を見ても、れっきとした南都僧だったのでありましょう。お大師さまがこのような文を提出し、擁護していることからもその緊密さが伺えます。中璟の璟の字を有する南都の高僧がおりますが、その人と何らかの関係があったのではと考えられます。



六大新報 第四三〇六号 掲載



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