諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(六十)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
智山専修学院長・東京成就院長老
福田 亮成



   一人の人間、その人の善い面のみを集めてみれば、善人であります。また、一人の人間、その人の悪い面のみを集めてみれば、悪人でありましょう。絶対なる善人、絶対なる悪人などありえない道理でありましょう。しかし、そこに強い意志を加えてみますと、主体的な善人・悪人が出現してくるでありましょう。私達の心が、相待世界そうたいせかいにいるかぎり、善なる側に、あるいは悪なる側にゆれ動いていることになります。世にいう道徳律や、倫理観などでは、そのゆれ動きを克服できないようです。そのようなことは、私達はいくつも経験していることです。  私は、先の大戦にかかわることはありませんでしたが、戦前の仏教書を見ますと、有名な仏教学者が戦争を礼賛らいさんし、若者を戦場にかりたてる国策の中で、恐らくは心中には戦争には反対しながら権力者の前にひざまずいていることを意外と思うのは私だけではないはずです。仏教を心の支柱にすえている僧侶も諸手もろて をあげて戦争に協力している姿は、なさけなくなってきます。ことほどさように、社会の状況によって道徳律や、倫理観は簡単に崩れ去ってしまうもののようであります。  私の師僧は、戦場へおもむくことはありませんでしたが、戦死した人びとの遺骨を駅から寺に行列をつくって安置し、供養の読教をささげたことを、戦争協力という心のいたみとともに話していたことを思いだします。戦争となることを、それ以前に阻止できなかったことの痛恨の心とともにでありましょう。  お大師さまはいっております。善・悪は、人間としては、どちらかが強く、そして弱い、と。私達はもっと自身の信心の世界を点検していかねば、と思います。



六大新報 第四三三一号 掲載



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