諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(六十四)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
智山専修学院長・東京成就院長老
福田 亮成



 この手紙には、藤中納言閣下謹空、とありますから、共に困難な入唐を共有することのできた大使、藤原葛野麿宛のものであろうことが想定されます。どうやら使者が高野山上に居るお大師さまに、藤原中納言が病気で食物のすすまない状況であることが報告されたようであります。
 恐らく病気の悪化を憂いて、お大師さまの上京を依頼したものであったでしょう。お大師さまは早速に弟子達と共に宝前に病気平癒の祈願をこらしたに違いありません。そして祈念の法力は遠い、近いということの関係なく、「千里すなわち咫尺しせき (極めて近い距離)」にすぎず、冥界の神々は善き人を守護するといわれます。どうして公のごとき仁者を助け無い事はあり得ましょうか、と励ましてから、掲げました文言があります。私(空海)は、私願の誓いがあり、暫く高野山から出られないのです。即ち時期を定めて修行中です。よって、お見舞する事ができないのでありましょう。
 この手紙には、八月二十一日、山僧空海しるたてまつる。とありますが、藤原葛野麿は弘仁九年(八一八)十一月十日に逝去されておりますから、ここの八月二十一日は、弘仁九年八月二十一日であったのではなかろうかと推定されます。お大師さま四十五歳の時のことでありました。
 弘仁十二年(八二一)九月七日には、「故の藤中納言のために十七尊の像を造り奉る願文」によって、供養を捧げております。
 京都と高野山との距離は後半生のお大師さまの生活に、世俗なる世界と一線を画すための理由として機能していったと考えるものであります



六大新報 第四三四二号 掲載



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