諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(六十五)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
智山専修学院長・東京成就院長老
福田 亮成



 これは、「高野山萬燈会の願文」の一文です。天長九年(八三二)八月二十二日の記がありますから、お大師さま五十九歳の時のものです。「諸の金剛子(弟子)等と金剛峯寺に於て、いささか萬燈萬華の会を設けて、両部曼荼羅、四種の智印(四種曼荼羅上のすべての仏)に奉獻ぶごんす。期するとことは毎年一度この事を設け奉って、四恩に答え奉らん」の後につづく文を掲げたものです。お大師さまのご誓願は、虚空(自然)尽き、衆生(生きとし生けるもの)尽き、涅槃ねはん(教え)の尽きたときこそ、私の願いも尽きてしまうでしょう。ということでありましょう。現に自然も、生きとし生けるものも、教えもなくなってはいないわけですから、お大師さまのご誓願は、今を生きる私達すべてに平等にむけられていることになりましょう。
 このことは、いわゆる大師信仰の中核にあるものであるに違いありません。
 最近、ある浄土門の学者から、次のような示唆しさをいただきました。
 善導(六一三~六八一)大師の「発願文」の一部が『華巌経』十地品、歓喜地の菩薩の発願と重なっていることが明らかとなったというのであります。そして、その文に「若し衆生尽きなば我が願もすなわち尽きん。若し世尊、虚空、法界、涅槃、仏の出世、諸仏の智慧、心の所縁、起智、諸転尽きなば我が願も乃ち尽きん」とありますが、十地思想が「発願文」として展開しているというのであります。そして、お大師さまの前掲の文言とも共通した地平が認められるとしております。
 従来、この文には典拠は示されないでおりましたが、それが明らかになった事は有難いことであります。



六大新報 第四三四五号 掲載



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