諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(六十六)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
智山専修学院長・東京成就院長老
福田 亮成



  同じ趣旨の文章が、『性霊集』第九に、次のようにあります。「空海、少年の日、好んで山水を渉覧しょうらんして、吉野より南に行くこと一日、さらに西に向って去ること両日程にして、平原の幽地あり、名づけて高野と曰う」と。同じ文章が見えます。文中に「少年の日」とあります。お大師さまは、二十四才の時に執筆されたといたします『三教指帰』の序文には、阿国大滝嶽・土州室戸崎の修行地をあげられておりますが、恐らくこの頃に高野の地を確認していたのでありましょう。大学に入り、中途退学した二十歳代前半頃の行動ではなかったかと想像されます。
 最近、総本山金剛峯寺と奈良県吉野町の金峯山修験本宗総本山金峯山寺などとつくられたプロジェクトチームが、両寺を結ぶ55.7㌔を、二泊三日の予定で、44.4㌔を踏破し、お大師さまが少年の日に歩いた道を「弘法大師の道」として復活されました。実にすばらしい壮挙ではありませんか。
 お大師さま空白の七年半ということがいわれますが、このことは、確実にその空間の時空をうめるものであるにちがいありません。もう一つ、この時期をうめる文章をあげてみますと、「弟子空海、性薫しょうくん我を勧めて還源げんげんおもいとす。径路未だ知らず、ちまたに臨んで幾たびか泣く」とありますのがそれで、還源の思いに悩みに悩み泣いたお大師さまを思うとき、そして「精誠感あってこの秘門を得たり」とありますように、密教の教えを得ることになったこと、まことにありがたい思いであります。  高野の稜線りょうせんは、紀の川や淡路島あたりから望見できるのでしょうか、すこぶる興味がわきます。



六大新報 第四三四八号 掲載



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