諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(七十八)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
東京成就院長老
福田 亮成



 私達には、すでに毒を塗った箭が射られております。誰一人として、その毒からのがれることができません。一刻のためらい迷う余裕もないはずです。早く毒箭を抜きさらなければなりません。しかし、人びとは直ちに毒箭を抜く以前に、箭を射た人の姓名や、箭がどの方向から飛んできたのか、その弓はどのようなもので出来ているのか、箭の毛羽はどのような鳥のものか等を知ることがなければ、その毒箭を抜かないと言い張っている様子です。
 後半の句は、千里の道も一歩からということでありましょう。共に、箭を抜かなければなりません。そして、一歩を踏み出さなければなりません。
 とまれ、仏教という宗教は、私達に単純な行動を求めることに終始するものなのでありましょうか。仏教は単純な行動主義なのでありましょうか、といいますと、そうではありません。箭を抜くということ。あるいは一歩を踏み出すということ。そのことは、それで完結してしまうものではなく、はたして、何をどのようにして生きていくのかが強く問われてくることになります。即ち、それは仏を求めての旅立ちの一歩となりましょう。
 お大師さまの主著であります『秘密曼荼羅まんだら十住心論』は、まさしくその第一歩から始まり、最も深い秘密荘厳の世界へいざなうもので、浄菩提心が高まっていく過程を活写したものであります。私達が旅するこの旅は、仏を求めてといいましたが、いや、仏を背にして仏の道を歩む旅であるはずであります。仏の実践行であってみれば、無手であるはずはありません。両手に、大慈(智慧)と大悲とをかざして歩むものでなければなりません。仏と同じようにです。



第四三七九号 掲載



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