諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(八十)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
東京成就院長老


福田 亮成



 水と、それを入れる器。そして私達の心のあり様は、実に宗教的な意味をそなえているといえましょう。水は、生きとし生けるものたちにとりまして無くてはならないものですし、本来清浄でありまして、他を清浄にするものでもありましょう。水はどのような器にも、きっちりと自由自在におさまる力があります。私の室に「心水如」の横額が掛けてありますが、これは、心が自由自在であるべきことを述べたものにちがいありません。『維摩経』第一、仏国品の一文に
 若し菩薩、浄土を得んと欲せば、当に其の心を浄くすべし。其の心の浄色に随いて則ち仏土浄し。とありますのは、心が水のごとく清浄であれば、浄土を得ることができる、いや仏土が清浄となることによりまして、心と浄土とが一つになるということでしょう。お大師さまは、もっと具体的に、
 加持とは、如来の大悲と衆生の信心とを表す。仏日の影、衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水よく仏日を感ずるを持と名く。
 と述べております。この文は、『即身成仏義』の三密加持の説段にあります加持ということの定規であります。水には、さらにその水面にあるがままなる姿を影すという特性があります。心鏡という言葉がありますが、実にそのことをいったにちがいありません。
 『大日経住心品疏』の一文に、このようなことが述べられております。数えきれないほどの器に、水がたたえられております。その一つ一つの器の水面に、一つ一つの月が輝きうつっている様子を想像してください。天空に輝く月が、同時に数えきれない心鏡にうつっている様は、遍照・遍満ということでありましょう。



六大新報 第四三八四号 掲載



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