お大師様のことば(九十七)
大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
東京成就院長老
福田 亮成
大虚空と大地と、もう一つ太陽を加えてみる。そして大虚空には風を、大地には雨を。私達、生きとし生きるもののすべては、これらすべての恩恵によって生かされている。これをただ自然現象の一景観ととらえることもできようし、そこに無私の私というような、大きな意志の働きというようにもとらえることができよう。『大日経』住心品にある“三時を越えたる如来の日加持の故に”とは、如来の説法(加持)のありかたを述べたものだが、それに雄大なる自然の現象を重ねてみると、その自然なる現象が、私達を生かしてやまない仏の大いなる意志のように感じられてくる。自然現象をそのまま大日如来の活動のあらわれとすることはできないのは無論であるが、如来の大慈悲心に仮託して感謝し、畏敬の念を持つことはゆるされることではなかろうか。
私の母を思い出す。毎朝昇ってくる太陽に向って、身を清め拍手を打ってお参りしていた姿を思い出す。それは、今日一日が無事にすごせるようにとの願いをこめたものであった。自分も仕事に出なければならないので、子供達に“すてきな朝だ、とびおきろ”と云っていたことを思い出し、母の気持を思い涙が出て来た。
また、ある老婆からいわれた言葉に、“信心には、照り、降り無し”と。日常生活にどのようなことがおころうと、信心にとどこおりがあってはならない、という教えは、如来よりの
今年も、彼岸が近づく頃、白木蓮の花がいつのまにか白い花を咲かせている。風に静かに
六大新報 第四四二八号 掲載