諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(九十八)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
東京成就院長老

福田 亮成

 この言葉は、お大師さまご自身の生涯をとおして深くうなずきをもって説かれたものではないだろうか。私のように浅い人生をおくっている者にも、おもく聞こえてくる言葉である。
 人間、自分の人生のすべてを明るく過ごせる人なんていないのではなかろうか。もし、あるとすれば、暗闇のなかをもくもくと生きてきた過程で、努力して明るさを掴み取った人ではないだろうか。才能にまかせて得た幸福、他人ひとから与えられた幸福は弱い、といわれるが、本当のことであろう。幸福であるという拠り所を経済的なものだけにおいたり、あるいは社会的な出世ということにおいたりしても、自分を死という面前にすえてみたときに、それが何の拠り所になりえようか。経済的な裕福さ、あるいは、社会的な成功者は、えてして傲慢という醜い煩悩のとりこになっていることが多い。“遇う所悉くわざわいなり”という所以ゆえんであろう。
 暗闇の生活であっても大日如来の大慈悲心の光明を導きてとして精進してゆく、そこに”途に觸れて皆な宝なり”という世界が開顕されてゆくはずである。
 お大師さまは、青年期に七年の空白時代があった。
 弟子空海、性薫しょうくん我をつつめて還源げんげんを思とす。経路けいろ末だ知らず。ちまたに臨んで幾たびか泣く。
 と、その苦しかった頃を思い出している。ご自身の生きていく道をいまだ知ることなく、種々な問題にぶつかり、幾たびか泣いたことであろう、と。
 人生の岐路にあたり悩みに悩んだお大師さまのなまの言葉として、この言葉を読んでみたい。一点の光明に導かれたお大師さまを思う。

六大新報 第四四三〇号 掲載

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