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水面の月 水面の月

第二回 法王とオウム

清風学園 専務理事
平岡 宏一

 仏教を内道といい、それ以外の宗教を外道と区別することがある。チベット仏教では、例えば、ガンジス河に入って沐浴するなど、身体の外を清めることで悟ろうとする宗教を外道といい、身体の内側、すなわち心の在り様を変えてゆくことで悟ろうとする宗教を内道と定義している。このことが象徴するように、仏教はまさに心の在り様を考える宗教である

 かつて、ダライラマ法王の講演会で、次のようなお話があった。法王がまだお小さい頃、教育係であった政府の秘書官がオウムを飼っていた。そのオウムは秘書官にとても懐いていて、彼が手を伸ばすと嬉しそうに頭を擦り付けてきたり、姿がなくとも、その足音が聞こえてくるだけで喜んで飛び跳ねていた。それを羨ましく思った法王は、オウムが自分にも懐いてほしくて、秘書官の真似をして胡桃を与えたり、色々な方法を試してみたものの全く懐かない。あまりに懐かないので、幼い法王はとうとうオウムに棒を投げつけてしまった。そして、このオウムと仲良くなるチャンスを永遠に失うことになってしまったということであった。
 法王は最後にこう締めくくられた。
 「オウムに胡桃を与えようとしている行為は二人とも同じだが、その心にあるものは全く異なっている。秘書官は心からオウムを可愛がっていたが、私はただオウムを自分にも懐かせたいという動機で可愛がっていただけで、オウムを愛しいと思っていたわけではない。たとえ行為は同じでも、その人が愛情をもって行ったことであるか否かは動物でも見分けられるものだ。まして人間は、相手が自分に好意を持っているか否か、安易に理解することができる。多くの人を敵にするか味方にすることができるか? それは自分の心の持ち方次第である。相手に対する思い遣りの心を育めるか否かが大切なのだ。」

 シャンティデーバというインド僧は「(素足で歩けば足が痛い。だからといって)大地を皮で覆うことはできないが、(自分の足にはく)靴の底に皮を貼れば、全ての大地を皮で覆ったのと同じことである。粗暴な人は無限にいるから、彼らを滅ぼすことはできないが、怒りという心ひとつを滅ぼせたら、全ての敵に勝利したのと同じことである」と述べている。
 自分の心の在り様を如何に見つめ、如何に成長させてゆくかということが、困難な問題を解決するにあたっての鍵ということであろう。

 これは難解な課題である。しかし先日、ある教育産業の方に、この問題について考えるきっかけとなる話を聞かせてもらった。この会社(ワオ・コーポレーション)は、昨今の学生の学力低下を憂えて、『超教養講座』なるものを始めたという。
 この講座は、著名な大学教授を講師として、それぞれの専門分野の話を高校生にも分かり易く解説する講座を無料配信するという企画で、若い学生に「学問」への興味を持ってもらうことが目的であった。
 依頼を受けた教授達は、それぞれに高名なその分野の第一人者で、通常の講演料は高額であったが、この企画が、最近の若者の教養を高めるきっかけになればという強い思いで無料配信されるという趣旨に共感し、無料出演を快諾してくれる人が相次いだという。結局、寸志の謝礼を払うことになったが、彼らは忙しい時間の中で、レジュメの校正や撮影の取り直しなどに快く協力してくれたそうである。また、ある教授はNASAのデータを用いることになった。NASAは、資料や研究データの提供について、煩雑な手続きや高額の費用を要することで知られている。しかし、この企画が若者の教育を目的とした、無料で行われる事業であるという趣旨を伝えたところ、手続きは簡略化され、データは無料で提供されたということであった。

 仏教では「縁起」の教えを説く。この世におこる全ての出来事が、因と果から生じるということであるが、前述のエピソードは、何事かを為そうとする時、それに関わる人達の心の在り様によって、相手の心も変わっていく例ではないかと感じた。

 私の師匠であったロサン=ガンワン師が、生前よくこう仰っていた。「善いことも悪いことも、皆、多くの因と縁によって発生している。悪いことも、その本質は“空”であり、因果関係を超越して存在しているわけではない。自分が悪いと思っているその出来事も、たくさんの条件、様々な縁によって成り立っている。従って悪いことが起きている時には、多くの良い縁を加えなければ物事は好転してゆかない。しかし良い縁を集めることができれば、悪い事態も必ず好転してゆくはずだ。」と。

 仏教で求められることは、自己の欲望を仏様の力を借りて肥大化させてゆくことではなく、自らの心の在り様を変えてゆくことだ。先ずは自分の心の在り様を見つめ、そして、自分の心を利他の方向へ導いていけるかどうか。難しく思えることだが、全ての問題を解決する鍵は、必ずここにある。
 物質的な充足感が満たされるようになった一方で、世界の各地では宗教問題や民族紛争が絶え間なくおこり、地球は環境破壊に苦しんでいる。仏教の教えに心して耳を傾けなくてはいけない時代を迎えている。



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